【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―築四十年 編―

2026年9月22日

吾輩は猫である ―築四十年 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

この家は、
ずいぶん長く立っている。

柱には傷。

床には軋み。

壁にも、
ところどころ時間の跡がある。

人間はこれを、
築四十年と呼ぶ。

四十年。

猫なら、
何代も入れ替わっている。

それでも、
家はまだそこにある。

吾輩は思う。

古いというだけで、
価値がなくなるものではないと。

新しい家には、
新しい良さがある。

断熱。

耐震。

設備。

便利さ。

だが、
古い家には、
時間がある。

柱についた小さな傷。

昔置いてあった家具の跡。

何度も開け閉めされた扉。

そこには、
暮らした者の記憶が残っている。

とはいえ、
思い出だけでは家は守れぬ。

屋根。

外壁。

水回り。

配管。

電気。

そして、
見えないところの傷み。

人間は時々、
「まだ大丈夫」と言う。

吾輩は思う。

その言葉は、
家にも体にも、
あまり信用してはいけない。

四十年も使えば、
何かしら手入れがいる。

直す。

替える。

補強する。

それでも残せるものは、
残す。

全部新しくする必要はない。

全部昔のままにする必要もない。

人間はこれを、
リフォームだの、
メンテナンスだのと呼ぶ。

吾輩には、
毛づくろいの大規模版に見える。

猫も、
毎日少しずつ整える。

乱れた毛を直し、
気になる場所を舐め、
使える体を使い続ける。

家も同じなのだろう。

大切なのは、
何年経ったかではない。

その年月に、
どう手を入れてきたかである。

古いから壊す。

新しいから安心。

そんな単純な話でもない。

吾輩は猫である。
築年数は数えぬ。

だが、
長く安心して眠れる場所が、
どれほどありがたいかは知っている。

築四十年とは、
古くなった家の年齢ではない。

四十年分の暮らしを受け止めながら、
これからも住み続けられるよう、
もう一度手をかける頃合いなのだ。


四十年
傷も軋みも
家の皺

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gonta

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