吾輩は猫である。
名前はまだない。
この家は、
ずいぶん長く立っている。
柱には傷。
床には軋み。
壁にも、
ところどころ時間の跡がある。
人間はこれを、
築四十年と呼ぶ。
四十年。
猫なら、
何代も入れ替わっている。
それでも、
家はまだそこにある。
吾輩は思う。
古いというだけで、
価値がなくなるものではないと。
新しい家には、
新しい良さがある。
断熱。
耐震。
設備。
便利さ。
だが、
古い家には、
時間がある。
柱についた小さな傷。
昔置いてあった家具の跡。
何度も開け閉めされた扉。
そこには、
暮らした者の記憶が残っている。
とはいえ、
思い出だけでは家は守れぬ。
屋根。
外壁。
水回り。
配管。
電気。
そして、
見えないところの傷み。
人間は時々、
「まだ大丈夫」と言う。
吾輩は思う。
その言葉は、
家にも体にも、
あまり信用してはいけない。
四十年も使えば、
何かしら手入れがいる。
直す。
替える。
補強する。
それでも残せるものは、
残す。
全部新しくする必要はない。
全部昔のままにする必要もない。
人間はこれを、
リフォームだの、
メンテナンスだのと呼ぶ。
吾輩には、
毛づくろいの大規模版に見える。
猫も、
毎日少しずつ整える。
乱れた毛を直し、
気になる場所を舐め、
使える体を使い続ける。
家も同じなのだろう。
大切なのは、
何年経ったかではない。
その年月に、
どう手を入れてきたかである。
古いから壊す。
新しいから安心。
そんな単純な話でもない。
吾輩は猫である。
築年数は数えぬ。
だが、
長く安心して眠れる場所が、
どれほどありがたいかは知っている。
築四十年とは、
古くなった家の年齢ではない。
四十年分の暮らしを受け止めながら、
これからも住み続けられるよう、
もう一度手をかける頃合いなのだ。
四十年
傷も軋みも
家の皺