吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
古くなった建物を見ると、
新しくしたくなる。
壁。
配管。
耐震。
設備。
人間はこれを、
建て替えと呼ぶ。
そして、
計画を立てる。
図面を引く。
お金を計算する。
完成後の暮らしまで、
少し想像する。
ところが、
途中で止まることがある。
人間はこれを、
建て替え中止と呼ぶ。
吾輩は思う。
始めたのに、
やめるのか。
なんとも、
もったいない。
だが、
人間の事情は単純ではない。
工事費が上がる。
金利が上がる。
人手が足りない。
資材が高い。
住民の意見がまとまらない。
昨日まで成立していた計画が、
今日は成立しなくなる。
吾輩は思う。
計画とは、
決めた瞬間に完成するものではないのだと。
時間が経てば、
条件も変わる。
それでも、
「一度決めたから。」
という理由だけで進めるのは、
少し危うい。
猫なら、
高い棚へ跳ぼうとしても、
途中で距離を測り直す。
届かないと思えば、
跳ばない。
決意が足りないのではない。
落ちたくないのである。
人間は、
中止を失敗だと思いたがる。
ここまで検討した。
お金も使った。
時間もかけた。
だから、
もう引き返せない。
人間はこれを、
もったいないと思う。
だが、
吾輩は思う。
ここまで使ったものと、
これから使うものは、
別に考えた方がよい。
進めれば、
さらに大きな負担になるのなら、
止める。
延期する。
改修へ変える。
別の方法を探す。
それも、
立派な判断である。
建物は、
人間より長く残ることがある。
だからこそ、
勢いだけで決めてはいけない。
新しいから正しい。
古いから駄目。
そんなに単純でもない。
残せるものは残す。
直せるものは直す。
どうしても難しければ、
そこで初めて建て替える。
吾輩は猫である。
建築計画には参加せぬ。
だが、
安心して眠れる場所が、
工事の都合だけで失われるのは困る。
建て替え中止とは、
夢が消えたことではない。
変わった条件の中で、
本当に進むべき道なのかを、
もう一度考え直した結果なのだ。
止まることも、
前へ進むための判断になる。
人間は、
そこをもう少し認めてもよいのである。
止まるのも
守る暮らしの
一手なり