猫の御朱印/ 御朱印帳/お守り/その他情報一覧
| 猫の御朱印 | ◯ |
| 猫の御朱印帳 | ✗ |
| 猫のお守り | ✗見えた範囲ではなかったです |
| その他 | 猫又橋という猫にまつわる伝説がある橋が近くにある |
猫の御朱印をいただくために訪問する神社。
外猫も何匹かいるようですが、暑い日で姿を表さず、残念。
簸川神社概要
当社は、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折参籠ありし社である。氷川神社を社号に永年使用してきたが、大正時代に学者らに研究を依頼し、簸川の字が適号との結論を得て、現号に改めた。(神社本庁)
〒112-0011 東京都文京区千石2丁目10−10
- TEL:03-3941-6687
- 最寄り駅
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」 徒歩6分
都バス「湯立坂下」 徒歩2分
氷川神社の御朱印
初穂料500円。「ねこまた氷川」のはんこがかわいい!

社務所のドアには、猫用出入り口があります。使ってないそうです?。
授与品は社務所の奥に置いてあります。

簸川神社(文京区)に実際に行ってみた!
れるむは令和5年7月初頭、文京区の簸川神社に行ってきました。
簸川神社では社務所で猫を2匹飼っているのと、外猫が何匹かいるとのことですが、残念ながらこの日は姿を見かけず。
ものすごく熱い一日だったので猫も出てくるわけ無いなーと思いました。

簸川神社はわりと小さめの神社で、落ち着きます。簸川神社の由来。

鳥居→階段→鳥居をくぐると、駐車場。

狛犬もなかなかの歴史。


6月末の夏越の祓(なごしのはらえ)のための、茅の輪くぐりがまだありました!8の字にくぐって厄を除けます。

本殿で心を込めて参拝。

神社の本殿に向かって後方には、いくつかの稲荷神社と、水谷殿、があります。ずいぶん現代風の建物です。




地下鉄丸ノ内線「茗荷谷駅(みょうがだに)」の出口1番を出て正面の横断歩道をわたります。

横断歩道をわたって左に行くと、1,2分くらいで交番が見えてくるのでそこを右折。

街路樹のある広い歩道をひたすら直進

左手に筑波大、放送大が見える。

「窪町東公園」の信号のある交差点を直進して渡ると、すぐに小石川植物園が右手に見える。

小石川植物園を過ぎてすぐに二股があり、すぐ左に「簸川神社」がある。


猫又橋をめぐってみる!
簸川神社から5分ほどあるいたところに「猫又橋」という地名があります。
猫又伝説とは
猫又というのは、長生きして、人語を解するようになった猫の妖怪。歌舞伎や怪談などさまざまな伝説があります。
猫又橋への行き方
簸川神社を出てこちらを訪問してみます!
簸川神社の鳥居から出たらすぐの道路をひたすら右に行くと、5分ほどで到着。
この焼肉屋「南水?」の角が猫又橋の跡なんだそう。

このあたりの川は昔よく氾濫したとかで、暗渠といって、川の上に道路を作ってあります。
ブラタモリに出てきそうですね。
猫又橋の跡地



このように書いてあります。
猫又橋 親柱の袖石
この坂下にもと千川(小石川とも)が流れていた。むかし、木の根っ子の股で橋をかけたので、根子股橋と呼ばれた。
江戸の古い橋で、伝説的に有名であった。このあたりに、狸がいて、夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。ある夕暮れ時、大塚辺の道心者(少年僧)がこの橋の近くに来ると、草の茂みの中を白い獣が追ってくるので、すわ狸かとあわてて逃げて千川にはまった。それから、この橋は、猫貍(ねこまた)橋・(猫又橋)といわれるようになった。猫貍は妖怪の一種である。
昭和のはじめまでは、この川でどじょうを取り、ホタルを追って稲田(千川たんぼ)に落ちたなど、古老がのどかな田園風景を語っている。
大正7年3月、この橋は立派な石を用いたコンクリート造りとなった。ところが千川はたびたび増水して大きな水害をおこした。それで昭和9年千川は暗渠 になり道路の下を通るようになった。
石造りの猫又橋は撤去されたが、地元の故市川虎之助氏(改修工事相談役)はその親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。
ここにあるのは、袖石の内2基で、千川名残りの猫又橋を伝える記念すべきものである。なお、袖石に刻まれた歌は故市川虎之助氏の作で、同氏が刻んだものである。
騒がしき蛙は土に埋もれぬ 人にしあれば 如何に恨まん
郷土愛をはぐくむ 文化財
文京区教育委員会

猫又坂(猫貍坂、猫股坂)
千石二丁目と三丁目の間
不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在通りには大正11年(1992)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる猫又橋につながっていた。この今はない猫又橋にちなむ坂名である。
また、『続江戸砂子』には次のような話がのっている。
むかし、この辺に狸がいて、夜な夜な赤手拭をかぶって踊っているという話があった。ある時、若い僧が食事に招かれての帰り、夕暮れの時、すすきの茂る中を白い獣が追ってくるので、すわっ、狸かと、あわてて逃げて千川にハマった。そこから、狸橋、猫貍橋、猫又橋と呼ばれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。
-郷土愛を育む文化財-
文京区教育委員会 平成11年3月
最後は大塚駅に向かって、文京区千川通りの七夕飾り
今はもう川だ橋だという面影がありません。
猫又橋のあった千川とはどこにあるの?現在は暗渠になっている?
氷川の古地図がありました!

猫又橋と簸川神社の鳥居を結ぶ細い道のあたりが、千川(せんかわ)の暗渠跡なのかなあと思っていたのですが。。。

画面右下に「猫又橋」の記述があります。
近くの共同印刷さんの案内板によると、大きな「千川通り」がどうやら川の跡のようです!

むかし川だったところが埋め立てられて道路になっている。道路の下は川だと思うと、少し怖いような、不思議なような気がします。
近所のランチ
簸川神社の近くのランチをご紹介します!
ロシア料理 ソーニャ
簸川神社から5分程度の交差点、千川通りの「「窪町東公園」の信号角にあります。
あたたかく家庭的な雰囲気のお店で、赤を貴重にした暗めの店内がいい雰囲気です。

ランチは1500円〜2000円でした。ボルシチとピロシキ、ボルシチとパン、みたいな組み合わせ。
グルジアワイン好きで飲みたかったけど、12%のアルコール分で、熱中症の脱水気味だったので我慢しました(^^)。

黒毛和牛を使って3日がかりで煮込んだボルシチをぜひ。ピロシキはひき肉、あんこ、かぼちゃから選べて、香辛料の風味がまた美味でした。
ロシア紅茶はぜひ飲んでみてください。ジャムを入れた紅茶、砂糖を入れるより好きです。
ラ・ベッカータ
イタリア料理。茗荷谷の名店にて、イタリア料理を堪能できます。ランチは2000円程度。
テイクアウトもあります。お天気がいい日は公園でランチもいいですね。
近所の観光
猫好きの人におすすめの神社仏閣記事はこちらから
吾輩は猫である ―猫の距離感 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 近づく。だが、触れぬ。 離れる。だが、遠すぎぬ。 人間はこれを、距離感と呼ぶ。 猫は、急に寄らぬ。急に離れぬ。相手の気配を見て、一歩を決める。 近すぎれば、緊張が生まれる。遠すぎれば、関係は消える。 ちょうどよい位置は、常に動く。 時間で変わり、状況で変わり、相手で変わる。 固定はできぬ。 吾輩は思う。距離とは、測るものではなく、調整するものだと。 一度決めたら終わりではない。毎回、少しずつ合わせる。 だから、疲れぬ。 人間は、詰めすぎる。または、離れすぎる。どちらも、関 ...
吾輩は猫である ―脱獄王猫 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 閉じたはずの扉が、いつの間にか開いている。鍵はかかり、窓も閉めた。それでも、気配は外にある。 人間はこれを、脱獄と呼ぶ。 だが猫にとって、それは大げさだ。ただ、通れるところを通っただけである。 隙間は、見ようとしなければ見えぬ。だが、一度見えれば、道になる。 吾輩は思う。制約とは、完全ではないと。 人は、閉じたつもりになる。だが、必ずどこかに余白がある。 押すか、引くか、待つか。方法はいくつもある。 力ではない。観察と、試行である。 何度か失敗し、少しずつ確かめる。その積 ...
吾輩は猫である ―海峡封鎖 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 細い道は、流れを決める。広い海でも、通る場所は限られる。 人間はこれを、海峡と呼ぶ。 多くのものが、そこを通る。物資、時間、意志。 だから、止まれば影響は広い。 吾輩は思う。大きな流れは、小さな隘路で決まると。 開いているときは、誰も気にせぬ。だが、閉じた瞬間に、その重要さが露わになる。 遠回りは、できなくはない。だが、時間はかかり、負担は増える。 普段見えぬ場所ほど、全体を支えている。 人間は、中心ばかりを見る。だが、本当に効いているのは、端の一点である。 守るべき場所 ...
吾輩は猫である ―猫の王様ライオンキング 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 高い場所に、一匹が立つ。風を受け、視線は遠くへ向く。 人間はそれを、ライオン・キングと重ねる。 王とは、強い者ではない。すべてを見渡す者だ。 吠えるだけでは、治まらぬ。奪うだけでは、続かぬ。 守るべきものを知り、過ぎた力を抑える。それが、王の役目である。 吾輩は思う。頂に立つとは、楽なことではないと。 誰よりも早く気づき、誰よりも遅く休む。判断は一つでも、影響は広い。 誤れば、自分だけでは済まぬ。だからこそ、軽々しくは決められぬ。 猫は、王を名乗らぬ。だが、高い場所を選ぶ ...
吾輩は猫である ―ミュージカル 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 静かな会話の途中で、急に歌が始まる。感情が高まり、言葉だけでは足りなくなると、人は声を伸ばす。 人間はこれを、ミュージカルと呼ぶ。 不思議な形式だ。現実では、突然歌い出す者はいない。だが、舞台では自然に見える。 なぜか。 感情が、論理を越えるからだ。説明するより、響かせる方が早い時がある。 吾輩は思う。伝えるとは、言葉だけではないと。 声の強さ、間の取り方、身体の動き。それらすべてが、意味を持つ。 人間は、正しさを語る。だが、届かなければ、存在しないのと同じだ。 ミュージ ...




