吾輩は猫である。名はまだない。
だが最近、飼い主が鏡の前でうなっている。
「太ったかも」「二の腕が…」「映えない…」
スマホを手にしては、誰かの投稿と自分を比べ、
ヨガ動画を見ながら、溜息をつく。
その横で、吾輩は堂々と寝そべる。
ぽってりお腹? 結構じゃないか。
しっぽが太い? 冬毛である。
足が短い? それが吾輩の“型”である。
猫は、比べない。削らない。憧れない。
あるがままの体を、
その日の陽だまりに預けるだけだ。
そもそも、吾輩の兄弟には痩せ型もいれば、ふくよかなのもいる。
だが、誰も「その体ではモテない」などとは言わない。
体は、生きてきた記録だ。
丸さも傷も、食べてきた証、守ってきた証である。
飼い主が吾輩の腹を撫でながら言った。
「ほんとに気持ちよさそうね、あなたは」
それでいいのだ。
気持ちいいと感じられる自分の体が、いちばん美しい。
映えぬ日の 毛づくろいにも 光さす
誰かの“いいね”で愛すのではない。
鏡の前で、にっこり笑えたなら、
それが“最初の肯定”になる。
吾輩は今日も、
たっぷり太ったまま、しなやかに歩いている。