吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― ダンボール 編 ―

2025年8月4日

吾輩は猫である ― ダンボール 編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。
だがAmazonとヤマトの段ボールは嗅ぎ分けられる。

朝、ピンポーンと鳴るチャイム。
人間は小走りに玄関へ向かうが、
吾輩はもうその時点で準備している。
箱の中に入る気満々である。

「中身より、箱に反応するってどういうこと?」
人間はよくそう言う。
だが、理解していない。
ダンボールは要塞であり、寝床であり、戦場である。

ダンボール 猫にとっての 四畳半

まず、音がいい。
薄くこすれば爪が鳴き、
跳ねれば低く響く。
中に入れば、孤独と安心が混ざりあう。

吾輩にとって、
この世で最も“自分だけの場所”に近いものが、
新品の段ボールである。

そして、忘れてはならぬのが
「ちょっと小さい箱に無理やり入る悦び」
この世界には、フィットすることでしか
得られない自尊心というものがある。

飼い主がため息をつく。
「また壊された…まだ中身出してないのに」

ふむ、それは気の毒だが、
そなたの管理より、吾輩の探求が先である。

段ボールは日々やってくる。
ときにギフトのように、
ときに生活の副産物として。

でもどんな形でも、
そこに猫が入り込めば――
それはもう、ただの箱ではないのだ。


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gonta

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