吾輩は猫である。
名はある者もいれば、まだ無い者もいる。
本日、保護猫の日である。
人の側から見れば「守る日」なのだろう。
だが、猫の側から見れば、それは少し違う。
吾輩らは、守られるために生きているわけではない。
ただ、生き延びてきただけである。
外で生まれ、外で暮らし、
時に人と出会い、時に見過ごされる。
その中で、ほんの少しだけ運が巡り、
「保護された」と呼ばれる状態に至る。
だが、それは終点ではない。
むしろ、もう一度“関係”を始める入口である。
人は言う。
「かわいそうだから助ける」と。
それも一つの真実である。
しかし、それだけでは続かぬ。
共に暮らすとは、
一方的な善意ではなく、
静かな覚悟の上に成り立つものだ。
世話をすること、時間を使うこと、
そして、ときに思い通りにならぬ存在を受け入れること。
それでもなお、一緒にいる理由を見つけ続けること。
保護とは、引き取る行為ではない。
関係を引き受けるということである。
吾輩は猫である。
だが、ただの猫ではない。
人と関わり、
人に問う存在でもある。
その手は、救うためのものか。
それとも、共に生きるためのものか。
今日くらいは、少しだけ考えてみるとよい。
その手には
救いか覚悟か
猫は見る