吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間の数が、
また一つの境を越えたらしい。
一億二千万人。
それを下回ったと、
人間は数字を見つめている。
出生数。
死亡数。
高齢化。
人口減少。
難しい言葉が並ぶが、
要するに、
生まれる者より、
去っていく者が多いということだ。
吾輩は思う。
人が減るとは、
数字が小さくなることだけではない。
学校から、
子供の声が減る。
商店街から、
店の明かりが消える。
バスの本数が減り、
病院や介護を支える者も少なくなる。
一人減るたびに、
その人が担っていた役割も、
少しずつ失われていく。
人間は、
子供を増やさねばならぬと言う。
だが、
生んでほしいと願うだけでは、
子供は増えぬ。
安心して働けること。
住む場所があること。
子育てを、
家庭だけに背負わせないこと。
そして、
子供を持つ者も、
持たぬ者も、
穏やかに暮らせること。
それらが整って初めて、
未来を選べるのではないか。
人口が多ければ、
必ず豊かになるわけではない。
少なくなっても、
一人一人を大切にし、
知恵と技術で支え合う社会はつくれる。
大切なのは、
減った人数を嘆くだけでなく、
残された暮らしを
どう守るかである。
吾輩は猫である。
人口統計には数えられぬ。
だが、
人の少なくなった町から、
ぬくもりまで消えてほしくはない。
日本人一億二千万人割れとは、
国が小さくなる知らせではなく、
これから誰と、
どのように支え合って暮らすのかを問う知らせなのだ。
人減れど
ぬくもりまでは
減らさぬよう