【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―おじさん、高校生に挑む 編―

2026年9月30日

吾輩は猫である ―おじさん、高校生に挑む 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

盤を挟めば、
年齢は関係ない。

肩書きも、
仕事も、
人生経験も、
いったん横へ置く。

そこにあるのは、
八十一マスと、
四十枚の駒だけである。

今日、
三段のおじさんが、
六段の高校生に挑んだ。

三段。

対するは、
六段。

数字だけ見れば、
なかなか厳しい。

しかも相手は、
高校生である。

若い。

読むのも速い。

頭の回転も速い。

おじさんは、
少しだけ言いたくなる。

「こちらには人生経験がある。」

だが、
将棋盤は人生経験を
一手も加点してくれない。

実に公平である。

対局が始まる。

序盤。

悪くない。

中盤。

これも、
なかなか悪くない。

むしろ、

「これは、あるのではないか。」

そんな空気さえ漂ってくる。

吾輩は思う。

六段相手に、
よく戦っている。

おじさん、
やるではないか。

相手も簡単には崩れない。

こちらも粘る。

読む。

考える。

そして、
また読む。

年齢差も、
段位差も、
しばらく盤上から消えている。

これが、
将棋の面白いところなのだろう。

だが、
勝負には終盤がある。

ここからが、
六段である。

おじさんにも、
勝ち筋が見えたような気がした。

あと少し。

もう一押し。

土俵際まで、
相手を追い込んだ。

ところが――

ひょい。

最後の最後で、
形勢が入れ替わる。

相撲で言えば、
うっちゃり。

勝ったと思って前へ出たところを、
土俵際でくるりと返された。

将棋には土俵もないのに、
気分だけは見事に土俵の外である。

吾輩は思う。

これが、
強い者の強さなのだと。

苦しくても崩れない。

負けそうでも、
勝負を投げない。

そして、
一つの隙を見つければ、
最後にひっくり返す。

派手な圧勝より、
こういう負けの方が悔しい。

「あそこだったか。」

「あの一手か。」

帰り道でも、
盤面が頭から離れない。

だが、
同時に少し嬉しくもある。

六段の高校生と、
最後まで勝負になった。

簡単には負けなかった。

それは、
段位表には残らない。

だが、
自分の中には残る。

吾輩は猫である。
将棋は指さぬ。

だが、
強い相手に挑み、
あと一歩まで迫り、
最後にひっくり返される悔しさくらいは想像できる。

おじさんが高校生に挑むとは、
若さに抗うことではない。

まだ自分にも、
強い相手と本気で勝負できる力があると、
盤の上で確かめることなのだ。

負けた。

だが、
悪い負けではない。

次に同じ土俵際へ来た時は、
今度こそ、
うっちゃられずに押し切ればよい。


あと一手
勝ったと思えば
うっちゃられ

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gonta

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