【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―パワハラ 編―

2026年10月10日

吾輩は猫である ―パワハラ 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間の世界には、
立場というものがある。

上司。

部下。

先輩。

後輩。

教える者と、
教わる者。

人間は、
その差を使って仕事を進める。

だが時々、
その差を、
相手を押さえつけるために使う者がいる。

人間はこれを、
パワハラと呼ぶ。

吾輩は思う。

力とは、
持っているだけでは悪くない。

問題は、
どう使うかである。

間違いを指摘する。

仕事をやり直させる。

時には、
厳しいことも言う。

それ自体が、
すぐに悪いわけではない。

だが、

皆の前で怒鳴る。

人格まで否定する。

必要以上に責め続ける。

断りにくい立場を利用する。

そこまで行けば、
話は違う。

人間は時々言う。

「昔はこれくらい普通だった。」

吾輩は思う。

昔普通だったことが、
今も正しいとは限らない。

昔の猫缶を、
賞味期限が切れても食べ続ける者はいない。

なぜ、
人間関係だけは、
古いやり方を保存したがるのだろう。

指導とは、
相手を動けるようにすること。

威圧とは、
相手を動けなくすること。

似ているようで、
結果はまるで違う。

怒られることが怖くなれば、
相談しなくなる。

失敗を隠す。

新しいことを試さなくなる。

そして、
組織全体まで弱くなる。

吾輩は思う。

パワハラは、
一人を傷つけるだけではない。

周りにいる者まで、

「次は自分かもしれない。」

と黙らせる。

声が消えた職場は、
静かではある。

だが、
健全とは限らない。

猫の世界でも、
強い者がいる。

だが、
ずっと追い回し続ければ、
弱い猫はそこからいなくなる。

縄張りは残る。

しかし、
仲間はいなくなる。

人間の組織も、
似たようなものではないか。

本当に強い者は、
力を見せつけなくてもよい。

任せる。

聞く。

止めるべき時には止める。

そして、
自分が間違えた時には認める。

それができて、
初めて力は信頼になる。

吾輩は猫である。
肩書きは持たぬ。

だが、
近づいてよい人間と、
少し距離を取った方がよい人間くらいは分かる。

パワハラとは、
声が大きいことではない。

立場の強さを使って、
相手から安心して働く余地を奪うことなのだ。

そして、
本当のリーダーシップとは、
人を怖がらせて動かすことではなく、
安心して力を出せる場所をつくることなのである。


力とは
押さえるためでなく
支える手

  • この記事を書いた人

gonta

-【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編