【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―原発データ不正 編―

2026年10月18日

吾輩は猫である ―原発データ不正 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
数字を信じる。

温度。

圧力。

地震の大きさ。

安全率。

数字になれば、
なんとなく安心する。

人間はこれを、
データと呼ぶ。

ところが、
その数字を人間自身が変えてしまうことがある。

都合の悪い数字を外す。

計算方法を変える。

そして、

「安全です。」

と説明する。

人間はこれを、
データ不正と呼ぶ。

吾輩は思う。

それでは、
何のためのデータなのか。

原子力発電所では、
大きな地震が来ても大丈夫なのかを考える。

そのために、
過去の地震を調べ、
地盤を調べ、
どれほど強く揺れる可能性があるのかを計算する。

当然、
小さい数字が出れば、
安全だと言いやすい。

だが、
地震は人間の報告書を読んでくれない。

「この数字にしておきましたので、
少し弱めに揺れてください。」

そうお願いしても、
聞いてはくれぬ。

猫でも分かる。

自然は、
忖度しない。

人間は時々、

「結果として事故は起きなかった。」

と言う。

だが、
吾輩は思う。

それは、
少し違う。

安全とは、
事故が起きなかったという結果だけではない。

正しい数字を見る。

都合が悪くても報告する。

分からなければ、
分からないと言う。

その積み重ねがあって、
初めて安全を語れる。

猫も、
高い棚へ跳ぶ前には距離を見る。

遠い。

届かない。

そう思えば、
無理には跳ばぬ。

そこで、

「たぶん届くことにしておこう。」

と距離を短く見積もれば、
落ちるのは吾輩である。

数字をごまかしても、
現実は変わらない。

変わるのは、
人間の安心だけである。

しかも、
一度不正が見つかれば、
次からは正しい数字まで疑われる。

「今度は本当です。」

と言われても、

「前もそう言ったのではないか。」

となる。

吾輩は思う。

原発で最も壊してはいけないものは、
設備だけではない。

信頼である。

原子炉は、
修理できるかもしれない。

データも、
計算し直せるかもしれない。

だが、

「この会社の数字を信じてよいのか。」

という疑いは、
簡単には直らない。

だからこそ、
安全に関わる仕事ほど、
悪い数字を隠してはいけない。

むしろ、

悪い数字ほど、
早く出す。

危険な可能性ほど、
先に考える。

それが、
本当の安全文化なのではないか。

吾輩は猫である。
原子力工学は分からぬ。

だが、
危ない時に尻尾を立てて、
平気なふりをするほど愚かではない。

原発データ不正とは、
単に数字を書き換えた問題ではない。

安全を証明するための数字を、
安全に見せるための数字へ変えてしまった瞬間、

人間が一番頼らなければならない
「信じられる情報」そのものを、
壊してしまう行為なのだ。

安全とは、
都合のよい数字を並べることではない。

都合の悪い数字からも、
目をそらさないことなのである。


数字より
偽れば先に
信頼溶け

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gonta

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