【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―核シェルター 編―

2026年10月19日

吾輩は猫である ―核シェルター 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
家を建てる。

雨を避ける。

風をしのぐ。

寒さから身を守る。

ところが、
最近はもっと頑丈な場所を作ろうとする者もいる。

地下へ潜り、
厚い壁で囲み、
外の危険から身を守る。

人間はこれを、
核シェルターと呼ぶ。

吾輩は思う。

そこまでして、
何から逃げるのかと。

答えは、
人間が作った兵器である。

実に不思議である。

危険なものを自分たちで作り、
その危険から逃げるために、
さらに頑丈なものを作る。

猫なら、
危ないものには近づかぬ。

それで済む。

だが、
人間の世界では、
そう簡単にはいかないらしい。

核兵器は、
遠くの話に見える。

だが、
もし本当に使われれば、
爆風だけではない。

熱。

放射線。

放射性物質。

そして、
その後の暮らし。

すぐに元通りとはいかぬ。

だから、
人間は備える。

水。

食料。

空気。

通信。

電気。

外へ出られない時間まで考える。

吾輩は思う。

備えること自体は、
悪くない。

地震。

大雨。

停電。

どれも、
起きてから考えては遅い。

核シェルターも、
その延長にあるのだろう。

だが、
一つだけ違う。

地震は、
人間が起こすものではない。

台風も、
人間同士が相談して止めることはできない。

だが、
核兵器は違う。

作るのも人間。

持つのも人間。

使うかどうかを決めるのも、
人間である。

それなら、
最も優れた核シェルターとは、
地下深くに作るものではないのかもしれぬ。

使わない。

増やさない。

話し合う。

相手も怖がっていることを知る。

そうして、
誰も逃げ込まなくてよい世界を作る。

その方が、
よほど広いシェルターではないか。

人間は時々、
「備え」と「安心」を同じものだと思う。

だが、
いくら壁を厚くしても、
空の向こうに核兵器がある事実までは消えない。

吾輩は猫である。
狭い箱は嫌いではない。

むしろ、
かなり好きである。

だが、
核シェルターだけは、
使わずに済む方がよい。

核シェルターとは、
人間の知恵が作った安全設備である。

同時に、

そんな設備まで必要になった世界を、
本当にこのままでよいのかと問い返す、
少し悲しい箱でもあるのだ。


地下よりも
使わぬ世界
深く掘れ

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gonta

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