吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
家を建てる。
雨を避ける。
風をしのぐ。
寒さから身を守る。
ところが、
最近はもっと頑丈な場所を作ろうとする者もいる。
地下へ潜り、
厚い壁で囲み、
外の危険から身を守る。
人間はこれを、
核シェルターと呼ぶ。
吾輩は思う。
そこまでして、
何から逃げるのかと。
答えは、
人間が作った兵器である。
実に不思議である。
危険なものを自分たちで作り、
その危険から逃げるために、
さらに頑丈なものを作る。
猫なら、
危ないものには近づかぬ。
それで済む。
だが、
人間の世界では、
そう簡単にはいかないらしい。
核兵器は、
遠くの話に見える。
だが、
もし本当に使われれば、
爆風だけではない。
熱。
放射線。
放射性物質。
そして、
その後の暮らし。
すぐに元通りとはいかぬ。
だから、
人間は備える。
水。
食料。
空気。
通信。
電気。
外へ出られない時間まで考える。
吾輩は思う。
備えること自体は、
悪くない。
地震。
大雨。
停電。
どれも、
起きてから考えては遅い。
核シェルターも、
その延長にあるのだろう。
だが、
一つだけ違う。
地震は、
人間が起こすものではない。
台風も、
人間同士が相談して止めることはできない。
だが、
核兵器は違う。
作るのも人間。
持つのも人間。
使うかどうかを決めるのも、
人間である。
それなら、
最も優れた核シェルターとは、
地下深くに作るものではないのかもしれぬ。
使わない。
増やさない。
話し合う。
相手も怖がっていることを知る。
そうして、
誰も逃げ込まなくてよい世界を作る。
その方が、
よほど広いシェルターではないか。
人間は時々、
「備え」と「安心」を同じものだと思う。
だが、
いくら壁を厚くしても、
空の向こうに核兵器がある事実までは消えない。
吾輩は猫である。
狭い箱は嫌いではない。
むしろ、
かなり好きである。
だが、
核シェルターだけは、
使わずに済む方がよい。
核シェルターとは、
人間の知恵が作った安全設備である。
同時に、
そんな設備まで必要になった世界を、
本当にこのままでよいのかと問い返す、
少し悲しい箱でもあるのだ。
地下よりも
使わぬ世界
深く掘れ