吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
夢を語る。
店を作りたい。
病気の治療を助けたい。
新しい商品を世に出したい。
困っている誰かを救いたい。
そして、
多くの人から少しずつお金を集める。
人間はこれを、
クラウドファンディングと呼ぶ。
吾輩は思う。
なかなか良い仕組みである。
一人では難しいことも、
百人。
千人。
多くの者が少しずつ力を出せば、
形になる。
だが、
善意が集まる場所には、
善意を利用する者も現れる。
人間はこれを、
詐欺と呼ぶ。
存在しない計画。
大げさな説明。
都合のよい写真。
そして、
「あと少しで目標達成です。」
と急がせる。
吾輩は思う。
人間は、
「助けたい」と思った時ほど、
警戒心が少し弱くなるのではないかと。
可哀想だ。
応援したい。
今すぐ何とかしたい。
その気持ちは、
悪くない。
むしろ、
とても人間らしい。
だが、
優しさと確認は、
両立できる。
誰がやっているのか。
何に使うのか。
過去に実績はあるのか。
説明に矛盾はないか。
支援した後、
どう報告されるのか。
少し立ち止まって見る。
それだけで、
避けられることもある。
猫も、
知らない餌には、
すぐには飛びつかぬ。
匂いを嗅ぐ。
周囲を見る。
少し待つ。
安全だと思ってから、
ようやく口をつける。
慎重とは、
冷たいことではない。
自分の善意を、
本当に必要な相手へ届けるための知恵である。
吾輩は思う。
クラウドファンディングで一番失ってはいけないものは、
お金だけではない。
信頼である。
一つの詐欺があれば、
「どうせまた嘘だろう。」
と、
本当に困っている人まで疑われる。
それが、
一番悲しい。
善意を騙す者は、
一人の支援者から金を取るだけではない。
次に助けを求める者から、
信じてもらえる可能性まで奪っている。
吾輩は猫である。
クラウドファンディングには参加せぬ。
だが、
信頼とは一度壊れると、
おやつ一袋では戻らぬことくらいは知っている。
クラウドファンディング詐欺とは、
人の財布を狙うだけの犯罪ではない。
「誰かを助けたい」という、
人間の優しさそのものを食い物にする、
たちの悪い裏切りなのだ。
だからこそ、
支援する時は、
優しい心と、
少し疑う目の両方を持っていたい。
善意ほど
渡すその前
ひと確認