吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
時々ずいぶん立派な箱を前にして、
静かになる。
黒い箱。
赤い内側。
そして、
蓋がある。
人間はこれを、
鰻重と呼ぶ。
吾輩は思う。
魚なら、
最初から見せればよいではないか。
なぜ、
わざわざ蓋をするのだ。
だが、
人間はその蓋を開ける瞬間まで、
少し嬉しそうに待っている。
ぱかり。
湯気。
香り。
照りのある鰻。
その下には、
たれをまとった飯。
なるほど。
これは、
蓋が必要なのかもしれぬ。
見えなかったものが現れる。
それだけで、
少しご馳走になる。
吾輩は思う。
人間は、
食べる前から味わっているのだと。
焼く。
たれをつける。
また焼く。
そして、
飯の上へ置く。
一口食べれば、
柔らかい。
香ばしい。
甘辛い。
すぐ飲み込むには、
少し惜しい。
人間は、
鰻を食べる日を特別にしたがる。
土用の丑の日。
祝い事。
頑張った日のご褒美。
少々値段も張るので、
毎日の昼飯というわけにはいかぬ。
だからこそ、
「今日は鰻にしよう。」
その一言に、
少し力がある。
猫にも、
似たような日がある。
いつもの餌ではない。
少し良い缶詰。
袋を開けた瞬間に、
分かる。
吾輩は急に、
愛想が良くなる。
人間はこれを、
現金な猫と呼ぶ。
失礼である。
食に対して、
素直なだけだ。
吾輩は思う。
ご馳走とは、
高い料理のことではない。
「今日はこれを食べよう。」
そう決めた時から、
少し心が弾むものなのだ。
そして、
鰻重には、
もう一つ不思議なところがある。
最初の一口も旨い。
真ん中も旨い。
最後に、
たれの染みた飯だけ残っても旨い。
主役がいなくなっても、
余韻が残る。
なかなか強い料理である。
人間の仕事も、
少し似ているかもしれぬ。
目立つ成果だけではない。
そこへ至るまでの手間。
支えた人。
積み重ねた時間。
最後に残るものまで含めて、
一つの仕事になる。
吾輩は猫である。
鰻重は食べぬ。
たれも濃いし、
吾輩には人間の食事は向かぬ。
だが、
蓋を開けた人間の顔が、
一瞬だけ子供のようになるのは知っている。
鰻重とは、
鰻を飯の上に載せた料理ではない。
焼く手間と、
待つ時間と、
蓋を開ける期待まで重ねた、
人間にとっての
小さなご褒美なのだ。
蓋開けば
香りもともに
重を満たす