吾輩は猫である ―初詣、二礼二拍手一礼が気になる猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 初詣に来た。人々は皆、同じ動きをしている。前へ進み、立ち止まり、深く頭を下げ、手を打ち、もう一度、頭を下げる。 ――二礼二拍手一礼。どうにも気になる。 吾輩は飼い主の足元で、その一連の所作をじっと観察していた。なぜ二回なのか。なぜ拍手なのか。なぜ最後に、もう一度なのか。 猫の世界には、こうした決まった型はない。挨拶は匂いで確認し、信頼は距離で測り、感謝は喉を鳴らして伝える。 だが、人間たちは違うらしい。所作をそろえることで、気持ちを整えているように見える。二礼で、日常を下ろ ...
吾輩は猫である ―初夢 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 正月の夜は静かだ。テレビの音も早く消え、家の中には、こたつの余熱と眠気だけが残っている。飼い主は「いい初夢を見るんだよ」と言って灯りを落とした。 吾輩は丸くなり、ゆっくりと夢の中へ滑り込んだ。 夢の中で吾輩は、大きなひなたにいた。空は高く、風は冷たくなく、地面はちょうどいい温度だ。 遠くから、富士山のような形の爪とぎが見え、そのそばには立派な鷹が羽を休め、足元には大きなナスが転がっていた。――人間で言うところの、縁起の良い夢らしい。 だが吾輩は、それらに特別な興味は持たなか ...
吾輩は猫である ―猫宝くじに当たる 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある朝、飼い主が新聞を広げたまま固まっていた。目は一点を見つめ、手は微かに震えている。「……当たってる。」どうやら宝くじが当選したらしい。 吾輩は理解した。今日は、缶詰の音が違う日である。 飼い主は言った。「一等じゃないけど、結構すごいよ。」その声は静かだが、胸の奥で何かが弾んでいるのが分かる。 その日、吾輩の皿には見慣れぬ高級そうなフードが盛られ、ベッドはふかふかに新調され、爪とぎまで新品になった。――世界が、少しだけやさしくなった。 だが飼い主は浮かれすぎなかった。「全 ...
吾輩は猫である ―猫初詣 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 元日の朝、飼い主がマフラーを巻きながら言った。「初詣、行くよ。」どうやら人間界では、新年の始まりに神社へ挨拶をするらしい。 吾輩はキャリーに入れられ、すこし不満げに耳を倒した。だが、外に出ると冷たい空気が心地よい。冬の匂いは、なぜこんなにも澄んでいるのだろう。 神社に着くと、参道には人が並び、甘酒の香りがほのかに漂っていた。吾輩はキャリーから半分顔を出し、境内の景色を見渡した。 鳥居の向こうの空は青く、風に揺れる鈴の音が静かに響く。人々が手を合わせ、ひとつずつ願いを置いてい ...
吾輩は猫である ―寝正月 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 新年が明けたというのに、この家の空気はやけに静かである。飼い主はこたつから半分だけ顔を出し、テレビの特番を眺めながら、「今日は何もしないぞ……」と宣言していた。 どうやらこれを、“寝正月”というらしい。 吾輩にとっては、それはもう、日常業務の延長である。一年の始まりが休むこととは、なかなかすばらしい文化だ。 朝は遅く起き、ストーブ前で一度寝て、昼過ぎに再びこたつで寝て、夕方には飼い主の膝で寝た。吾輩の仕事が忙しい。 時折、飼い主が言う。「寝すぎて逆に疲れた……」吾輩は理解に ...
吾輩は猫である ―猫箱根マラソン 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 正月の朝、飼い主がテレビにかじりついて叫んでいた。「箱根駅伝、もうすぐ山上りだぞ!」どうやら、人間界では新年早々に長距離を走る儀式があるらしい。 吾輩は思った。――猫なら、もっと優雅に走れるのでは? そして気づけば、山の空気の中にいた。どういうわけか吾輩はエントリーされていた。胸にはゼッケン「22-にゃん」。周囲のランナーが驚いた顔で吾輩を見ている。 スタートの号砲が鳴った。吾輩は軽やかに跳び出した。最初は調子が良かった。足裏の肉球が地面を弾み、風切り音が耳をくすぐる。 し ...
吾輩は猫である ―初風呂 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 正月二日、家の中にふわりと湯気の気配が満ちてきた。飼い主が言う。「初風呂、入ろうかな。」どうやら一年最初の風呂には、特別な意味があるらしい。 吾輩は風呂場の前で座り、戸の隙間から中をのぞいた。白い湯気が立ちのぼり、湯が静かに満ちていく音がする。――水に浸かるのは苦手だが、この空気は嫌いではない。 飼い主が湯船に入り、大きく息をついた。「はぁ……生き返る。」人間はときどき、風呂で自分をリセットするらしい。 吾輩は脱衣所のマットに丸くなり、湯気に包まれながら待った。直接触れずと ...
吾輩は猫である ―年始のご挨拶 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝の光が、いつもよりやわらかい。カレンダーが新しくなり、家の空気も少し改まっている。どうやら今日は、年始のご挨拶をする日らしい。 飼い主は背筋を伸ばし、「今年もよろしくお願いします」と画面越しに何度も頭を下げている。人間とは、新しい年になると、あらためて言葉を整える生き物のようだ。 吾輩はその足元に座り、静かに様子を見守った。猫に挨拶の言葉はないが、姿勢で示すことはできる。尻尾を巻き、耳を落ち着かせ、ただ、そこに居る。 挨拶とは、何かを約束することではなく、「これからも共に ...
吾輩は猫である ―大晦日 一年を振り返ってみよう 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 今日は大晦日。外は冷え、家の中はどこか落ち着かぬ。飼い主は掃除を終え、こたつに入り、テレビをつけたまま静かにしている。一年が、そっと終わろうとしているのだ。 吾輩は窓辺に座り、この一年を思い返してみた。春、日差しの場所を覚え、夏、冷たい床を探し、秋、抜け毛とともに風を感じ、冬、膝のありがたさを知った。 大きな出来事は少なかったかもしれぬ。だが、毎日のご飯、変わらぬ水、名前を呼ぶ声。それらが揃っていたことが、何よりの出来事だった。 飼い主も一年を振り返っているようだ。「いろい ...
吾輩は猫である ―地域猫の冬 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 吾輩は家猫だ。雨の日も、暑い日も、屋根と毛布と決まった皿がある。夜は鍵のかかる扉の向こうで、静かに眠る。 ある日、窓の外に猫がいた。首輪はなく、耳に小さな切れ込みがある。――地域猫である。 彼は塀の上から吾輩を見て言った。「ここ、あったかそうだな。」吾輩は答えた。「そっちは、風の匂いがするな。」 彼の暮らしには、決まった時間も、決まった寝床もない。だが、通りの人が餌を置き、誰かがそっと見守っている。 吾輩の暮らしには、外の自由はないが、病院も、心配する声も、帰る場所もある。 ...









