吾輩は猫である。名はまだない。
ここ横浜は、かつて黒船が見えたという港町。吾輩の祖先もきっとそのあたりで開化の風に吹かれていたに違いない。
最近では「ハマっ子」の気風も薄れ、人の顔もビルの壁もガラスのように冷たい。ランドマークの足元で、吾輩が毛づくろいをしていようが誰も気に留めぬ。いや、それどころかスマホのレンズを向けてくるのが関の山である。
桜木町では再開発が進み、古い市場や路地裏の飲み屋が次々と消えていく。吾輩が昔なじみの三毛と再会した角も、今ではカフェとマンションが並ぶだけ。進歩とは便利さの名を借りた置き去りである。
中華街のあたりでは、観光客が豚まんを頬張りながら「これが本場の味!」などと叫ぶ。だが吾輩には知っている。路地裏にひっそりと構える老店の小籠包のほうが、ずっと魂のこもった味だということを。
そして県庁あたりでは、人間たちが政策だ補助金だと、まるでマタタビを争う子猫のように騒いでいる。だが、どんなに立派なまちづくりを語っても、吾輩の餌場は昨日より狭くなっている。
文明開化から百五十余年。
今の横浜は、古き良きものを脱ぎ捨て、新しい毛皮を着たがる猫のようだ。
吾輩は、港の風にひげを揺らしながら思う。
「古い魚の骨にも、旨味が残っているにゃ」と。