吾輩は猫である。名はまだない。
だが夕方五時を過ぎると、そわそわする。
なぜなら、飼い主が「まだ帰ってこない」からである。
あの人間は、朝の七時に出かけて、
夜の九時にようやく戻る。
「仕事が終わらないんだ」「残業は文化だ」
そんなことをぶつぶつ言っている。
猫にとって、日が傾けば“帰る”が自然である。
暗くなったら、冷えるし、カリカリも欲しい。
無理してまで“野良気取り”はしない。
ある日、飼い主がぽつりと呟いた。
「今日こそ早く帰ろうかな……でも上司が残ってるし」
吾輩はテレビ台からぴょんと飛び降り、
リモコンを落として知らせてやった。
“帰れ。今が、おぬしの時間じゃ”
次の日、飼い主は勇気を出して定時で帰宅した。
夕飯をちゃんと作り、ストレッチをし、
吾輩といっしょに毛布で丸くなった。
その顔は、まるで春先の猫のように、緩んでいた。
帰るとは 誰かの待つ場所 思い出す
忙しさは誰かの評価を得るためにあるのではない。
“待っているもの”があるから、帰るのだ。
吾輩は今日も、玄関の音に耳をすませている。
おかえり。それだけ言うために。