吾輩は猫である。
芸の道は、ただの毛づくろいとは違う。
爪とぎにも順序があるように、
舞にも、鳴きにも、年齢ごとの深まりがある。
この前、人間が書棚から古い本を取り出した。
『風姿花伝』――世阿弥という昔の芸人の書いたものだ。
そこには「時分の花」「まことの花」などと書かれていた。
吾輩なりに読み解けばこうだ。
子猫の頃は、何をしても愛らしい。
それは「時分の花」。
小さな肉球でじゃれれば、誰もが笑顔になる。
だが、その花は長くは咲かぬ。
大人になれば、ただ走るだけでは誰も振り向かない。
そこで必要なのが「まことの花」。
年を経ても輝く芸や所作――
たとえば、落ち着いた毛づくろい、
人の膝にのる絶妙なタイミング、
相手の心を読むしっぽの振り方。
これは年齢を重ねた猫にしかできぬ技である。
世阿弥は「初心忘るべからず」とも書いた。
吾輩にとっての初心とは、
初めて港の夕焼けを見た日の胸の高鳴りだ。
それを失わずに、今日も路地を歩く。
芸は一朝一夕には咲かぬ。
だが、咲いた花は季節を越えて人の心に残る。
吾輩は猫である。
毛並みが白くなっても、
この足取りとまなざしで、
自分なりの花を咲かせ続けたいと思う。