吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ―風姿花伝編―

2025年8月27日

吾輩は猫である ―風姿花伝編―

吾輩は猫である。
芸の道は、ただの毛づくろいとは違う。
爪とぎにも順序があるように、
舞にも、鳴きにも、年齢ごとの深まりがある。

この前、人間が書棚から古い本を取り出した。
『風姿花伝』――世阿弥という昔の芸人の書いたものだ。
そこには「時分の花」「まことの花」などと書かれていた。
吾輩なりに読み解けばこうだ。

子猫の頃は、何をしても愛らしい。
それは「時分の花」。
小さな肉球でじゃれれば、誰もが笑顔になる。
だが、その花は長くは咲かぬ。
大人になれば、ただ走るだけでは誰も振り向かない。

そこで必要なのが「まことの花」。
年を経ても輝く芸や所作――
たとえば、落ち着いた毛づくろい、
人の膝にのる絶妙なタイミング、
相手の心を読むしっぽの振り方。
これは年齢を重ねた猫にしかできぬ技である。

世阿弥は「初心忘るべからず」とも書いた。
吾輩にとっての初心とは、
初めて港の夕焼けを見た日の胸の高鳴りだ。
それを失わずに、今日も路地を歩く。

芸は一朝一夕には咲かぬ。
だが、咲いた花は季節を越えて人の心に残る。
吾輩は猫である。
毛並みが白くなっても、
この足取りとまなざしで、
自分なりの花を咲かせ続けたいと思う。


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gonta

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