吾輩は猫である。
名前はまだない。
朝になると、
人間は決まった場所へ向かう。
駅ではない。
道路の脇に立ち、
少し遠くを見る。
やがて、
大きな車が近づいてくる。
人間はこれを、
バス通勤と呼ぶ。
吾輩は思う。
電車より、
少し気まぐれである。
道路が混めば遅れる。
雨が降れば、
人も車も増える。
信号にも止まる。
だから、
予定通りに行かぬこともある。
だが、
それが悪いとも限らない。
乗ってしまえば、
人間は運転しなくてよい。
前を見続ける必要もない。
窓の外を眺める。
眠る。
本を読む。
何もせずに、
ただ揺られる。
吾輩は思う。
通勤とは、
会社へ向かうためだけの時間ではないと。
家を出て、
仕事へ入るまでの間に、
少し気持ちを切り替える時間でもある。
昨日のこと。
今日の予定。
何も考えたくない朝。
その全部を、
バスは同じように運ぶ。
しかも、
バスから見る街は少し違う。
いつもの店。
いつもの交差点。
毎朝すれ違う人。
季節が変われば、
景色も少しずつ変わる。
桜。
新緑。
強い日差し。
落ち葉。
毎日同じ道なのに、
完全に同じ日はない。
吾輩は思う。
これは、
猫の縄張り巡回に少し似ている。
同じ道を歩く。
だが、
毎日匂いは違う。
知らない猫がいたり、
新しい物が置かれていたりする。
日常とは、
変わらないものの中に、
小さな変化を見つけることなのかもしれぬ。
人間は、
通勤時間を短くしたがる。
十分。
二十分。
三十分。
短い方がよい。
それも分かる。
だが、
少しくらい揺られる時間があってもよい。
会社へ着く前に、
一度深く息をつく。
帰りなら、
仕事を少しずつ置いていく。
家に着く頃には、
もう仕事の顔ではなくなっている。
それも、
悪くない。
もちろん、
満員のバス。
渋滞。
来ないバス。
目の前で発車。
そういう日は、
かなり猫パンチしたくなる。
だが、
それも含めて通勤である。
吾輩は猫である。
通勤はしない。
仕事場も、
寝床も、
だいたい同じ場所にある。
だが、
毎日同じ道を揺られながら、
少しずつ仕事へ向かい、
少しずつ家へ戻る感覚は、
悪くないと思う。
バス通勤とは、
目的地まで運ばれるだけの移動ではない。
家と仕事の間に置かれた、
少しだけ何者でもなくてよい時間なのだ。
揺られつつ
仕事の顔へ
朝のバス