【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―バス通勤 編―

2026年10月29日

吾輩は猫である ―バス通勤 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

朝になると、
人間は決まった場所へ向かう。

駅ではない。

道路の脇に立ち、
少し遠くを見る。

やがて、
大きな車が近づいてくる。

人間はこれを、
バス通勤と呼ぶ。

吾輩は思う。

電車より、
少し気まぐれである。

道路が混めば遅れる。

雨が降れば、
人も車も増える。

信号にも止まる。

だから、
予定通りに行かぬこともある。

だが、
それが悪いとも限らない。

乗ってしまえば、
人間は運転しなくてよい。

前を見続ける必要もない。

窓の外を眺める。

眠る。

本を読む。

何もせずに、
ただ揺られる。

吾輩は思う。

通勤とは、
会社へ向かうためだけの時間ではないと。

家を出て、
仕事へ入るまでの間に、
少し気持ちを切り替える時間でもある。

昨日のこと。

今日の予定。

何も考えたくない朝。

その全部を、
バスは同じように運ぶ。

しかも、
バスから見る街は少し違う。

いつもの店。

いつもの交差点。

毎朝すれ違う人。

季節が変われば、
景色も少しずつ変わる。

桜。

新緑。

強い日差し。

落ち葉。

毎日同じ道なのに、
完全に同じ日はない。

吾輩は思う。

これは、
猫の縄張り巡回に少し似ている。

同じ道を歩く。

だが、
毎日匂いは違う。

知らない猫がいたり、
新しい物が置かれていたりする。

日常とは、
変わらないものの中に、
小さな変化を見つけることなのかもしれぬ。

人間は、
通勤時間を短くしたがる。

十分。

二十分。

三十分。

短い方がよい。

それも分かる。

だが、
少しくらい揺られる時間があってもよい。

会社へ着く前に、
一度深く息をつく。

帰りなら、
仕事を少しずつ置いていく。

家に着く頃には、
もう仕事の顔ではなくなっている。

それも、
悪くない。

もちろん、
満員のバス。

渋滞。

来ないバス。

目の前で発車。

そういう日は、
かなり猫パンチしたくなる。

だが、
それも含めて通勤である。

吾輩は猫である。
通勤はしない。

仕事場も、
寝床も、
だいたい同じ場所にある。

だが、
毎日同じ道を揺られながら、
少しずつ仕事へ向かい、
少しずつ家へ戻る感覚は、
悪くないと思う。

バス通勤とは、
目的地まで運ばれるだけの移動ではない。

家と仕事の間に置かれた、
少しだけ何者でもなくてよい時間なのだ。


揺られつつ
仕事の顔へ
朝のバス

  • この記事を書いた人

gonta

-【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編