【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―姫沙羅通り 編―

2026年10月16日

吾輩は猫である ―姫沙羅通り 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間の街には、
時々きれいな名前の道がある。

銀座。

桜通り。

けやき通り。

そして、

姫沙羅通り。

吾輩は思う。

ずいぶん上品な名前である。

姫。

沙羅。

それだけ聞けば、
どこか遠い庭園の小径のようだ。

だが、
道とは本来、
もっと生活臭のある場所である。

人が歩く。

自転車が通る。

買い物袋を提げた者が帰る。

朝になれば店が開き、
夕方になれば明かりがつく。

特別なことなど、
何も起きない。

それでも、
そこに名前がある。

吾輩は思う。

街とは、
そういうものなのかもしれぬ。

観光地だけが、
記憶に残る場所ではない。

毎日通った道。

学校へ向かった道。

仕事から帰った道。

誰かと並んで歩いた道。

そういう場所の方が、
何年か後にふと思い出す。

姫沙羅という木は、
大きく目立つ花を咲かせるわけではない。

白い小さな花をつけ、
静かに季節を知らせる。

なるほど。

通りの名前としては、
悪くない。

人間も、
目立つものばかりを覚えているようで、
案外そうではない。

何気ない会話。

いつもの店。

毎朝すれ違った人。

名前も知らない猫。

そんなものが、
後になって街の記憶になる。

吾輩は猫である。

道を歩く時、
通りの名前など気にしない。

日向があるか。

車が来ないか。

安心して座れる場所があるか。

重要なのは、
その程度である。

だが、

「姫沙羅通り」

と呼ばれていると知れば、
いつもの道も少し違って見える。

人間とは、
名前を付けることで、
何でも少し特別にする生き物なのだろう。

そして、
その名を何十年も呼び続ければ、
やがて名前そのものが、
街の記憶になる。

吾輩は猫である。
姫でもなく、
沙羅でもない。

だが、
派手ではなくても、
そこにあり続けるものの良さは知っている。

姫沙羅通りとは、
目的地になるような道ではないのかもしれない。

ただ、
誰かの日常の途中にあり、
何度も歩くうちに、
いつの間にか心の中の風景になっている。

そんな道なのだ。


名も優し
いつもの道に
花ひとつ

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gonta

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