吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 兵庫県政篇 ―

2025年5月19日

吾輩は猫である ― 兵庫県政篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。
神戸の片隅に暮らして幾星霜、人間の営みにゃんとも奇妙なものを感じている。

最近、ご近所の飼い主たちが騒がしい。「知事がまたやらかした」「議会が揉めとる」などと井戸端会議で盛り上がる。吾輩は耳をぴくりと動かしながら、縁側で毛づくろいをするのみである。

兵庫県というのは、広い顔を持つ猫のような土地だ。北は雪深く、南は海風に吹かれ、東西には播磨、但馬、丹波、摂津、淡路――と、まるで多頭飼いの猫屋敷のような構成である。ゆえに、まとめ役たる知事の役割は重大だが、最近ではどうも「爪とぎ」ばかりが目立っているらしい。

かつては港町・神戸の再建や観光振興に夢を描いていた人間たちも、今や「視察旅行の是非」や「パフォーマンス政治」に眉をひそめているとか。吾輩から見れば、人間の議論はまるで発情期の鳴き声合戦である。声は大きいが、実りは少ない。

町の猫たちは静かにこうささやく。「県庁の屋上にはキャットタワーでも立てたらどうにゃ」と。

吾輩はただ、日なたで丸まりながら思う。
“猫の手も借りたい”とはよく言うが、今の兵庫には、耳を貸す勇気のほうが必要に思える。

スポンサーリンク

  • この記事を書いた人

gonta

-吾輩は猫である(現代編)