吾輩は猫である。名はまだない。
今夜の食卓は、いつもと違う香りがした。
テーブルには花、グラスにはワイン。
飼い主たちは少し照れくさそうに笑っている。
「今日で十年目だね」――どうやら結婚記念日らしい。
吾輩はその足元に座り、
静かにしっぽを揺らした。
十年という歳月。
人にとっては長いかもしれぬが、
猫にとっては、いくつもの春と冬を重ねるほどの時だ。
思い返せば、喧嘩もあった。
泣き声の夜も、笑い声の朝も。
だが、どんなときも二人は同じ家に戻り、
同じカップでお茶を飲んでいた。
それが、愛というものなのだろう。
飼い主が吾輩の頭を撫でて言う。
「君も、家族になってくれてありがとう」
吾輩はごろごろと喉を鳴らした。
この家の歴史の中で、
吾輩もまた小さな証人なのだ。
窓の外では、春の雨が静かに降っている。
十年前も、きっと同じように降っていたのだろう。
そして十年後も、この音を聞いているに違いない。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、このぬくもりこそ、
共に生きるということだと思う。
春雨や ふたりと一匹 十の年