吾輩は猫である ― 母の日篇 ―
吾輩は猫である。名はないが、「コラまたのって!」とよく呼ばれる。
今日は人間界で「母の日」とやら。町の花屋は赤いカーネーションで溢れ、スーパーマーケットでは「感謝の気持ちをカタチに」などと書かれたチラシが舞っておる。
どうやら人間は、特定の日にだけ感謝を思い出す生き物のようだ。
吾輩にも母はいた。目を開ける前から温かかった、灰色の長毛種である。物静かで、吾輩がじゃれて耳を噛んでも、怒りはせずに舐めてくれた。その背中のぬくもりは、今日も忘れぬ。
だが吾輩が知る限り、人間の母たちは忙しい。朝は弁当、昼は洗濯、夜は晩飯と、まるで休みのないマタタビ工場のごとし。そのうえ家族から「ありがとう」の一言を聞くには、母の日という“公式な日”を待たねばならぬのか。
それでも母たちは笑っている。いや、笑ってみせている。
猫の目には見えるのだ。カリカリ一粒にも感謝する吾輩には、それがわかる。
人間の子どもたちは、花と手紙を差し出して「いつもありがとう」と言う。
悪くない風景である。だが、できれば明日も、明後日も言ってやってくれ。
母とは、日付に左右されぬ存在である。
そこにいて、温かくて、どこかちょっと疲れていて。
吾輩は今日、かつての母に思いを馳せ、家の奥で寝ている“人間の母”の足元にそっと寄る。
そして、静かに丸くなって、体をあずける。
これが吾輩流の「ありがとう」である。