吾輩は猫である。名はまだない。
瀬戸内の海をわたる風が心地よい。
橋を渡った先の小さな島に、
「猫雑貨店」と書かれた看板が立っている。
店先には、陶器の猫、木彫りの猫、
布でできたブローチの猫――
どれも少しずつ違って、どれもやさしい顔をしていた。
吾輩はその店の軒先で暮らしている。
観光客が来るたびに、
「ほんとに猫がいる!」と声を上げる。
カメラを向けられても、
吾輩は気にしない。
この島では、時間さえ潮のようにゆるやかに流れる。
店主の女性は、
「どんな猫も、どこかに似ている」と言う。
それは、心のどこかに“帰りたい場所”を
みんなが持っているからだろう。
吾輩にとっての帰る場所は、この軒下。
潮の香りとハーブティーの匂いが混じる午後が好きだ。
夕暮れどき、
橋の向こうに沈む夕日が店のガラスを赤く染める。
今日も誰かが、小さな猫の置物を手にして笑った。
吾輩はその背中を見送りながら、
静かにしっぽを振った。
吾輩は猫である。名はまだない。
けれどこの店に立ち寄った誰かの心に、
少しでも温もりを残せたなら、それでいい。
潮風に ひげも微笑む 島の店