吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ―猫能 編―

2025年8月26日

吾輩は猫である ―猫能 編―

吾輩は猫である。
今宵は少し特別な舞台に立つ。
場所は町の能楽堂。
漆黒の板張り、松の描かれた鏡板、
そして張り詰めた静けさ。
観客の息づかいすら、音として響く。

今夜の演目は「猫返し」。
かつて人間に助けられた猫が、
恩返しに現れるという物語。
まことに吾輩向きの役である。

囃子方がゆるやかに笛を吹き、
小鼓の音が空気を切る。
吾輩は面(おもて)をつけぬ代わりに、
毛並みをしっとりと整え、
一歩、また一歩と橋掛かりを進む。
足音は立てぬ。
しっぽの先まで、舞の一部である。

観客の視線は静かに集まり、
舞台は吾輩と音だけの世界になる。
一挙手一投足に意味があり、
目線の移し方ひとつで、
物語が深まっていく。

終盤、太鼓が打ち鳴らされ、
吾輩は舞台中央で正座し、
しずかに前足を揃える。
その瞬間、客席の空気がふっと和らぎ、
物語は静かに幕を閉じた。

終演後、楽屋に戻ると、
老練のシテ方がぽつりと呟く。
「猫殿、今日は見事な間(ま)でしたな」
吾輩はしっぽをひと振りして応える。
能とは、静けさの中にすべてを込める芸だと、
改めて知った夜だった。

吾輩は猫である。
今日も一座の一員として、
時を超える舞に身をゆだねるのである。


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gonta

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