吾輩は猫である(現代編)

吾輩は猫である ― 大谷翔平篇 ―

2025年5月22日

吾輩は猫である ― 大谷翔平篇 ―

吾輩は猫である。名はないが、名は神のみぞ知る。

吾輩は猫である。名はまだないが、呼ばれれば振り向く。エンゼルスではなく、裏通りの駐車場が吾輩のホームである。

それにしても最近、人間どもが「ショウヘイ、ショウヘイ」と騒がしい。朝から晩まで、TV、SNS、駅のポスター、はたまたコンビニのレジ横まで、どこにでも大谷翔平がいる。まるで“野球界のマタタビ”である。

投げて打って走って微笑んで、何でもこなす彼の姿に、吾輩の飼い主など「もう神やな」と呟いていた。だが神とはもっと気ままで理不尽な存在ではなかったか?
少なくとも吾輩は、神にしてはあまりに真面目すぎると思う。

人間たちは夢だ希望だ努力だと騒ぎ立てるが、吾輩には一つの疑問が残る。
「その尊敬のまなざし、なぜ隣の野良猫には向けられぬのか?」

グラウンドのヒーローには熱狂するが、線路下で震える子猫には目もくれぬ。それが人間という生き物の、実に不器用で勝手なところである。

もちろん、吾輩も翔平殿の俊敏な身のこなしには感心している。彼ならばきっと、高い塀の上にも音なく跳び、狭い路地でも悠々とターンを決めるであろう。

だが彼の最大の才能は、「吠えず、奢らず、黙って結果を出す」その佇まいだ。
猫として、実に理想的である。

ゆえに吾輩は静かに敬意を示そう。
餌の時間、カリカリを2粒残してこう祈る。
「翔平、そなたも良き猫なり」

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gonta

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