【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―レーシック編―

2026年5月27日

吾輩は猫である ―レーシック編―

吾輩は猫である。
人は「見えるようにする」ために、目に手を入れる。

それを、レーシックという。

角膜の形を整え、光の屈折を変えることで、
ぼやけていた世界を、くっきりと映し出す。

仕組みは単純に見える。
だが、その決断は軽くはない。

目は、日々使うものだ。
ゆえに、その変化は取り消しが効かぬ。

人はそこで迷う。
このままでも困らぬのではないか。
だが、より良く見えるなら、その方がよいのではないか。

どちらも、間違いではない。

レーシックは、魔法ではない。
適応があり、限界があり、
すべての人に同じ結果をもたらすわけではない。

それでもなお、多くの人が選ぶのは、
「見え方」が日常そのものを変えるからである。

ぼやけていたものが、輪郭を持つ。
遠くのものが、自然に目に入る。

それは単なる視力の問題ではない。
世界との距離が変わるということだ。

だが、ここで一つ忘れてはならぬ。

見えるようになることと、
理解できることは、別である。

はっきり見えるからといって、
すべてが分かるわけではない。

むしろ、見えすぎることで、
本質を見失うことすらある。

吾輩は猫である。
暗がりでも、そこそこ見える。

だが、すべてを見ようとはしない。

人よ。
視界を整えるのはよい。

だが、その先にあるものを、
どう見るかは、別の話である。


見えるほど
見えていないと
知る視界


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gonta

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