吾輩は猫である。名はチョビ。
年齢は推定13歳、人間ならもう後期高齢者である。
先日、飼い主が静かに言った。
「チョビが長生きしても、私が先に…ってこともあるからね」
そして書類を広げた。
「ペット信託契約書」――なるほど、
吾輩の余生を、紙に預けるつもりらしい。
人間の制度というのはいつもややこしい。
信託財産、受託者、給付金の範囲、
そして「愛護義務」なる言葉。
ふむ、「世話することを法律で誓わせる」とは、
人間という種族の誠実な臆病さである。
“万が一”に 書面で守る 吾輩の飯
書かれた未来には、
吾輩のチュールの本数も、爪とぎの場所も、
寝る場所まで決められていた。
それはまるで、見えない遺言のようで、
でもどこか、あたたかかった。
「こんな制度、昔はなかったのにね」
と飼い主は笑った。
吾輩はただ、静かに喉を鳴らした。
書類の隣にすり寄り、
すでに分かっているのだ――
本当に頼るのは、紙ではなく“誰かを思う心”だと。
明日がどうなるかは、分からぬ。
だが信託の箱の奥には、
飼い主の“生きた証”が残っている。
それだけで、きっと吾輩は
また一歩、生き延びる気がするのだ。