吾輩は猫である。
名前はまだない。
昔、
人間たちは大騒ぎした。
細胞に刺激を与える。
すると、
いろいろな細胞になれる状態へ戻る。
人間はこれを、
STAP細胞と呼んだ。
「これはすごい。」
「再生医療が変わる。」
「歴史的発見だ。」
テレビも、
新聞も、
ずいぶん賑やかだった。
吾輩は思う。
そんなにすごい細胞なら、
今ごろ病院で大活躍しているのだろうと。
ところが、
十年以上たっても見かけない。
吾輩は聞きたい。
STAP細胞、
どこいった。
人間の世界では、
発表しただけでは科学にならないらしい。
同じ方法で、
別の人間が試す。
同じ結果になる。
また別の者が試す。
やはり同じになる。
人間はこれを、
再現性と呼ぶ。
ところが、
STAP現象は再現できなかった。
理化学研究所も検証した。
それでも、
確認には至らなかった。
論文にも、
いくつもの問題が見つかった。
そして、
Natureに掲載された二つの論文は撤回された。
吾輩は思う。
科学とは、
ずいぶん厳しい世界である。
一度、
「見つけました。」
と言えば終わりではない。
写真がきれいでも駄目。
説明が上手でも駄目。
有名な雑誌に載っても、
それだけでは駄目。
もう一度やっても、
同じになる。
誰がやっても、
確かめられる。
そこまで行って、
ようやく科学になる。
猫なら、
机の上に魚があると言われたら、
まず自分で見に行く。
なければ、
「ないではないか。」
で終わる。
人間の科学も、
案外似ている。
ただ、
STAP細胞の騒動は、
一つの研究だけでは終わらなかった。
研究者。
研究機関。
学術誌。
報道。
それぞれが、
「すごい発見かもしれない。」
という期待に、
少しずつ引っ張られた。
人間は、
夢のある話が好きである。
難病が治る。
老化を止める。
失った臓器を再生する。
そんな未来なら、
信じたくなる。
だが、
信じたいことと、
本当であることは違う。
吾輩は思う。
そこが、
科学の一番難しいところなのだと。
期待する。
だが、
疑う。
応援する。
だが、
確かめる。
新しい結果が出ても、
すぐには飛びつかない。
それは、
夢がないのではない。
夢を、
本物にするための手続きなのである。
STAP細胞は、
どこかに隠れているわけではない。
少なくとも現在、
再現可能な科学的現象として認められてはいない。
それでも、
この出来事まで消えたわけではない。
研究不正とは何か。
再現性とは何か。
組織は研究をどう管理するのか。
メディアは新しい発見をどう伝えるのか。
多くの問いを残した。
吾輩は猫である。
細胞は作らぬ。
だが、
「ある。」
と言われたものを、
本当にあるのか自分で確かめる慎重さくらいは持っている。
STAP細胞どこいった。
答えは少し寂しい。
夢の細胞として、
どこかへ行ったのではない。
科学という世界の中で、
再現できず、
論文も撤回され、
「本当にあると言うには足りなかった。」
そこへ戻ったのである。
だが、
科学にとっては、
それもまた前進なのだ。
間違いを残すより、
間違いを確かめ、
直す方がよい。
科学とは、
一度も間違えないことではない。
間違えた時に、
きちんと戻れる仕組みを持つことなのだ。
夢よりも
二度目も出るか
確かめる