吾輩は猫である。名はまだない。
あの戦の頃、町は静かに色を失っていた。
魚屋の軒先からは鯵も鰯も消え、
人々は芋や麦を分け合い、
吾輩の腹も常に空っぽであった。
空が唸りを上げ、爆音が町を覆うたび、
吾輩は路地裏に身を潜めた。
窓を黒布で覆う人間の姿は、
まるで夜そのものを抱きしめているようであった。
吾輩が忘れぬのは、子どもたちの笑顔である。
物も食も乏しいなかでも、
空き地で小石を蹴り、
吾輩のしっぽを追いかけて笑っていた。
その笑顔すら、やがて戦火に呑み込まれていった。
やがて戦が終わり、
焼け跡には草が芽吹き、
人は再び鍋を囲んだ。
吾輩もその足元で、
残り飯にありつきながら生を繋いだ。
戦とは、猫にも人にも等しく牙をむくものだ。
名もなき吾輩が願うのはただひとつ――
二度と空に爆音が響かぬ世である。
吾輩は猫である。名はまだない。
だが、この目とひげに刻まれた記憶は、
未来を生きる者に伝えねばならぬ。
焼け跡に 芽吹く草花 平和かな