吾輩は猫である。
名前はまだない。
人間は、
雨にも数字をつける。
一時間に何ミリ。
一日に何ミリ。
百年に一度。
千年に一度。
そして今度は、
「一万年に一度。」
吾輩は思う。
一万年。
ずいぶん長い。
猫なら、
何代生まれ変わればよいのか、
計算する気にもならぬ。
二〇二六年八月十三日。
千葉県に、
猛烈な雨が降った。
千葉市緑区から市原市東部では、
二十四時間の雨量が五百七十ミリを超えたと解析された。
道路は水につかり、
家にも水が入り、
暮らしそのものが止まった。
気象庁は、
この雨に名前まで付けた。
「令和8年8月千葉豪雨」。
自然現象に名前が付く時は、
だいたい良い知らせではない。
人間は言う。
一万年に一度。
吾輩は思う。
ならば、
あと九千九百九十九年は安心なのか。
もちろん、
そんなわけはない。
この「一万年に一度」は、
一万年ごとに律儀にやってくる雨ではない。
過去の気候を再現したシミュレーションの中で、
それほど起こりにくい規模だったという意味である。
しかも、
温暖化した今の気候では、
同じ規模の豪雨が起きる確率が、
過去より二倍以上高まっている可能性があるという。
吾輩は思う。
「一万年に一度」が、
少しずつ近づいてくるとは、
なかなか笑えない話である。
人間は、
確率が低いと安心する。
百年に一度。
千年に一度。
一万年に一度。
数字が大きくなるほど、
「自分の番ではない。」
と思いたくなる。
だが、
災害にとって、
吾輩たちの寿命など関係ない。
一万年に一度の雨でも、
今日降れば、
今日の雨である。
しかも水は、
人間の予定を聞いてくれぬ。
仕事がある。
明日なら困る。
車で帰りたい。
そんな事情など、
まったく考慮しない。
水位は上がる。
道路は見えなくなる。
いつもの道が、
いつもの道ではなくなる。
猫なら、
少し様子がおかしければ、
まず安全な場所へ移る。
理由は後でよい。
先に逃げる。
人間は、
そこが少し苦手である。
「まだ大丈夫。」
「前も平気だった。」
「ここまで水は来ないだろう。」
そう考えている間に、
逃げるための道そのものがなくなることがある。
実際、千葉豪雨では広い範囲で浸水被害が生じ、複数の自治体で多数の住宅被害が確認されている。
吾輩は思う。
防災とは、
未来を当てることではない。
外れてもよいから、
早く動けるようにしておくことだ。
避難場所を知る。
ハザードマップを見る。
川や低い道路へ近づかない。
車で水の中へ入らない。
猫がいるなら、
キャリーを出せるようにしておく。
薬。
餌。
水。
トイレ用品。
そして、
人間自身も忘れずに逃げる。
「一万年に一度だから仕方がなかった。」
そう言うことはできる。
だが、
「一万年に一度でも、
来るかもしれないと思っていた。」
そう言える方が、
少しだけ強い。
吾輩は猫である。
天気予報は読めぬ。
だが、
空気が変われば、
いつもの場所から離れることはある。
一万年に一度の大雨とは、
一万年先の話ではない。
低い確率という言葉に安心せず、
今日その一回が来ても生き残れるように、
日頃から備えておくべき雨なのだ。
人間よ。
一万年を心配する必要はない。
まず、
次の一時間を無事に過ごせ。
万年に
一度も今日なら
逃げる猫