吾輩は猫である ― 裁判傍聴 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 きょうは珍しく、飼い主の後をついて街へ出た。向かった先は、白い石造りの建物――裁判所であった。人が多く並んでおり、「傍聴席は満席です」と声が響く。どうやら人間たちは“正義”というものを見届けに来ているらしい。 中へ入ると、部屋の空気は張りつめていた。壇上に座る黒い服の人物、そして下を向く被告人。どちらも、何か大切なものを守ろうとしているように見えた。 吾輩はそっと耳を立てた。証言、反論、沈黙――そのすべてが人の生き方を映している。猫には善も悪もない。ただ腹が減れば食べ、眠け ...
吾輩は猫である ― 女性新総裁 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 きょうのニュースで、飼い主が声を上げた。「日本初の女性総裁、誕生だって!」テレビの中では、スーツ姿の新しいリーダーが静かに、しかし力強く言葉を紡いでいた。 長いあいだ、政治の舞台は男たちの声が主だった。けれども今、その壇上には柔らかい微笑と、確かな意思を宿した瞳がある。吾輩はしっぽをゆらしながら思った。猫の世界でも、ボスは毛並みで決まるわけではない。堂々として、仲間を思う者こそが群れを導くのだ。 記者会見では「変化を恐れず進みたい」と語っていた。変化――それは、猫が最も嫌う ...
吾輩は猫である ― マウス事件 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 先日の「キーボード事件」以来、飼い主は妙に警戒している。机の上に近づこうとするだけで、「ダメ、そこは仕事道具なの!」と声を上げるのだ。 だが吾輩の目は、ひとつの獲物に釘付けであった。それは手の中で小さく動く、“マウス”と呼ばれる謎の生き物。まるで本物の鼠のようにカチカチと音を立て、たまに赤い光を放つ。これはどう見ても、猫として放っておけぬ存在である。 飼い主がトイレに立ったすきに、吾輩は机に飛び乗り、マウスを押さえた。カチ、カチ、スクロール――おお、これは楽しい。だが次の瞬 ...
吾輩は猫である ― 猫のキーボード事件 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 本日、重大な事件が発生した。被害者は飼い主、加害者は――吾輩である。 飼い主は朝から「リモート会議」とやらに忙しく、画面の向こうに頭を下げたり、笑ったりしていた。吾輩はその横で待っていたが、昼ごはんの時間になっても声をかけてくれない。 やむなく、吾輩は抗議の意を示した。机に飛び乗り、キーボードの上を堂々と行進したのだ。その瞬間――画面の中で「えっ!?」「何これ!?」と騒ぎが起こった。どうやら吾輩の足跡が、プレゼン資料を一瞬で消したらしい。 飼い主は青ざめ、「Ctrl+Z!C ...
吾輩は猫である ― 猫の嫉妬 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 このところ、飼い主の膝の上を新入りの子猫が占領している。白くて小さく、鳴き声は妙に甘い。吾輩がそこに座ろうとすると、「だめよ、今この子がいるの」と言われた。 胸の奥で、何かがチリチリと燃えた。食事の時間も、つい皿をひっくり返してしまう。飼い主は困った顔をするが、それでも目はあの子猫に向いたままだ。 嫉妬――人間はそう呼ぶらしい。猫にとっては、ただ“好きな相手を取られた”という単純な痛みである。吾輩は夜の窓辺に座り、月明かりに映る自分の影を見つめた。 ふと、飼い主がやってきて ...
吾輩は猫である ― 鬼滅の猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 近ごろ飼い主が夢中になっているのが、「鬼滅の刃」なる物語。夜な夜な画面の前で涙をぬぐい、吾輩のごはんを忘れるほどの熱中ぶりである。 どうやら人と鬼が戦う話らしい。家族の絆、仲間の想い、己の誇り――どれも猫には縁遠いようで、しかし不思議と胸が熱くなる。 鬼が夜に現れるのなら、吾輩こそ夜の番人である。暗闇の中でひげを震わせ、影の動きを追うその瞳。もし吾輩が“猫滅隊”を結成すれば、鬼どももたじろぐに違いない。 飼い主は「柱がかっこいい」と叫んでいる。吾輩からすれば、柱とは爪を研ぐ ...
吾輩は猫である ― 車購入 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 飼い主が最近、やたらと数字とにらめっこをしている。「ローン」「燃費」「残価設定」――どうやら新しい車を買うらしい。 試乗の日、吾輩も助手席に乗せられた。エンジン音は静かで、座席はふかふか、外の景色が流れるたびに毛がふわりと揺れた。だが、吾輩にとって重要なのはそこではない。“どの車がいちばん昼寝しやすいか”である。 営業マンは飼い主に、「安全性能が最新です」「燃費も優秀です」と説明していた。吾輩は心の中でつぶやいた。「それより、ひなたの当たる後部座席はあるのか?」 ついに契約 ...
吾輩は猫である ― 故郷に帰る 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 久しぶりに、飼い主の都合で故郷へ帰ることになった。車の窓の外に流れる風景は、かつて子猫のころ駆け回った畦道に似ている。 あの頃は空が広く、田んぼの水面に自分の顔を映して遊んだ。今はその場所も宅地になり、コンビニと駐車場が並んでいる。それでも、風の匂いは昔と同じだった。 古い実家の縁側で昼寝をしていると、向こうから懐かしい声がした。「おかえり」と言うように、近所の猫たちが姿を見せる。皆、顔は違えど、どこか懐かしい温もりをまとっていた。 飼い主は友人と再会し、笑いながら昔話をし ...
吾輩は猫である ― 猫の恋愛 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 路地裏の集会所――魚屋の裏手に、四匹の猫が顔をそろえた。男猫は黒と虎、女猫は三毛と白。皿の上には焼き魚一尾。これが恋と食事の駆け引きの始まりであった。 黒猫はさっそく身を差し出し、「どうぞ先に」と三毛に譲る。虎猫はその隙に、白猫へ鯛の骨を押しやり、「君に似合う」と口説く。 三毛は黒猫の誠実さに目を細め、白猫は虎猫の押しに頬を赤らめる。だが魚は一尾しかない。四匹の視線が交わると、恋も食欲も入り混じった緊張が走る。 結局、身の大きい虎猫が先にかぶりつき、黒猫は静かに尻尾を巻いた ...
吾輩は猫である ― ステマ 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 近ごろ、人間の世界では「ステマ」なる言葉が飛び交っている。どうやら宣伝を宣伝と告げずに広めることを指すらしい。SNSに「これ最高!」と写真を載せれば、本心か商売かはわからぬ。人は疑い、時に炎上する。 猫の世界にも似たことはある。路地裏で一匹が「この魚屋は最高だにゃ」と言えば、仲間はぞろぞろ集まる。だが実は、その猫だけが魚屋に可愛がられて特別にもらっていたら――他の者は裏切られた気分になるだろう。 宣伝とは嘘ではない。けれど隠された意図は、人の心を冷たくする。正直に「これは宣 ...








