吾輩は猫である ―猫聖火リレー 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 街に、火がやってきた。特別な火で、特別に守られ、特別に走らされる。 人間はこれを、聖火リレーと呼ぶ。 道は整えられ、声は揃えられ、時間は秒単位で管理される。火は揺れるが、計画は揺れぬ。 吾輩は、少し離れた縁石の上から、それを見る。走る必要はない。火は、こちらまで届いている。 火とは、渡すものではない。見失わぬものだ。 人は、次へ次へと繋ぐ。落としてはならぬと、強く握る。だが、強く握るほど、熱さは増す。 猫なら、持たぬ。近づきすぎず、遠ざかりすぎず、ただ、消えぬ距離を保つ。 ...
吾輩は猫である ―猫って長靴履ける? 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 雨の日、飼い主が長靴を履いて出かける。ごつく、重く、足音がいつもと違う。その様子を見て、吾輩はふと思った。――猫って、長靴履けるのだろうか。 結論から言うと、履けない。物理的には、入るかもしれぬ。だが、猫の足は地面と会話している。濡れ具合、冷たさ、微かな振動。それらを遮る靴は、猫にとって世界を閉ざすものだ。 人は守るために履く。猫は感じるために裸足でいる。そこが違う。 長靴を履けば、水たまりは怖くない。だが、水たまりが何者か分からなくなる。猫はそれを好まない。 吾輩は雨音を ...
吾輩は猫である ―マッサージ猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 夜になると、飼い主の背中は少し丸くなる。肩は固く、呼吸は浅い。それは、一日を頑張った印だ。 吾輩は迷わず、その背中に乗る。軽く、しかし確実に。 前足で、ふみ、ふみ、ゆっくりと圧をかける。力は入れすぎない。逃げ道を残す。それが猫流のマッサージだ。 飼い主は小さく息を吐く。「そこ、ちょうどいい……」吾輩は聞いていないふりをする。褒められて調子に乗ると、効き目が落ちる。 猫のマッサージは、治すためではない。元に戻すためのものだ。呼吸を深くし、思考をほどき、身体を“今”に連れ戻す。 ...
吾輩は猫である ―一二三 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 盤の前に、時間の厚みがある。言葉は少なく、所作は正確だ。 人間は、その人を加藤一二三と呼ぶ。 早口で、穏やかで、しかし一手は重い。考えるというより、待っているようにも見える。 吾輩は知っている。勝負とは、急ぐことではない。置くべきところに、置くことだ。 時計が進み、昼が過ぎ、夜が来る。それでも、盤の中心は動かぬ。 積み重ねた日々は、派手に語られぬ。ただ、一局一局として、残っていく。 人は記録を読むが、本当の強さは、空白に宿る。考えすぎず、怯えず、同じ姿勢で座り続けること。 ...
吾輩は猫である ―猫は内、鬼は外 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 節分の日、家の中が少し騒がしい。豆の入った袋、赤い面、そして決まり文句。「鬼は外、福は内!」 吾輩は思う。では、猫はどこだ。 答えは簡単だ。猫は内である。最初から内にいて、出る予定もない。 鬼というのは、角や牙の話ではない。怒りすぎる心、追い詰めすぎる言葉、眠る時間を削る焦り。そういうものが、家の中に入り込むと、居心地が悪くなる。 だから豆を投げる。力任せではなく、区切りとして。「ここまでにしよう」と空気に言い聞かせるために。 吾輩は豆を追わない。転がる音を聞き、距離を測り ...
吾輩は猫である ―応用情報〈合格編〉―
吾輩は猫である。名前はまだない。 気がつけば、机の上には参考書が積まれ、画面の向こうには午後問題が並んでいた。人間はこれを「応用情報技術者試験」と呼ぶらしい。 合格した。まずは、それを述べておく。 努力が報われた事実は、素直に祝ってよいものだ。覚え、考え、迷い、書ききった。それは確かな足跡である。 祝いはする。静かに、だが確かに。 だが吾輩は、この場所に長く腰を下ろすつもりはない。 応用とは、基礎の延長であり、基礎とは、通過点である。知を積んだ者にとって、止まる理由にはならぬ。 風は、もう次の問いを運んで ...
吾輩は猫である ―長寿猫編―
吾輩は猫である。名はまだない。 最近、動きは少しゆっくりになった。跳ぶ前に考え、歩く前に周りを見る。それを人は「歳をとった」と言う。吾輩は「慣れただけだ」と思っている。 長く生きるということは、速さを競わぬことだ。勝ち負けを忘れ、無理を引き算し、今日を確実に終えること。 若いころは、音がすれば走り、影が動けば跳んだ。今は、本当に必要な音だけを選ぶ。それは衰えではなく、選択である。 飼い主は言う。「長生きの秘訣って何だろう。」吾輩は答えない。秘訣は語るものではなく、続けるものだからだ。 食べ過ぎず、焦らず、 ...
吾輩は猫である ―猫を猫と呼ぶ 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 フランスの諺には、物を物として呼ぶことの大切さが、さりげなく込められている。飾らず、誇張せず、期待を背負わせない。 吾輩は思う。猫を猫と呼ぶとは、愛さぬことではない。支配せぬことだ。 人は名を足す。意味を盛る。役割を与え、物語を背負わせる。だが、猫は物語を欲しがらない。 猫は猫であり、それ以上でも以下でもない。そのままで十分なのだ。 フランス人は言う。「物は物として扱え」と。それは冷たさではない。敬意である。 吾輩が窓辺にいるとき、理由はない。意味もない。ただ、そこにいる。 ...
吾輩は猫である ―時計と猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 人間はしきりに時計を見る。進んでいるか、遅れているか、間に合うか、間に合わぬか。円盤の上を回る針に、気分まで預けているようだ。 吾輩は時計を見ない。正確な時刻を知らずとも、腹が減れば起き、眠くなれば眠る。それで一日が、きちんと終わる。 時計は便利である。だが、便利なものほど、人を追い立てる。人は時間を使っているつもりで、いつの間にか時間に使われている。 吾輩は窓辺で丸くなり、光の角度で午後を知る。時計より遅いが、間違えない。 考えるとは、急がぬことだ。生きるとは、測らぬこと ...
吾輩は猫である ―猫髭コレクター編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある日、飼い主が床に落ちている細い白いものを拾い、そっと息を止めた。「……あった。」それは、吾輩の髭である。 猫の髭は、ただの毛ではない。距離を測り、風を読み、世界の輪郭を知るための道具だ。それを落とすということは、ほんの少し成長した証でもある。 飼い主はその髭を、小さな箱に入れた。「捨てられないんだよね。」そう言って、満足そうに頷く。 箱の中には、すでに何本かの髭が並んでいる。長さも、曲がり具合も、色も違う。――まるで、吾輩の人生の断片である。 吾輩は思う。なぜ人は、猫の ...









