吾輩は猫である ―ハシビロコウ編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが最近、動物番組で気になる鳥を見つけた。ハシビロコウ――まったく動かない。動かぬまま、鋭い目で世界を見つめている。 人間たちは彼を「不気味」「怖い」と言う。だが、吾輩には分かる。あれは“無駄な動きをしない者”の構えだ。 人間はやたらと忙しい。スクロール、返信、会議、リアクション。動いていることが、存在の証明とでも言いたげである。 だが吾輩もまた、長く動かぬ時間を愛する。気配を消し、時を待ち、ただじっと、何かを“感じている”。 ハシビロコウも同じなのだろう。彼は“見張っている ...
吾輩は猫である ― 早く帰る編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが夕方五時を過ぎると、そわそわする。なぜなら、飼い主が「まだ帰ってこない」からである。 あの人間は、朝の七時に出かけて、夜の九時にようやく戻る。「仕事が終わらないんだ」「残業は文化だ」そんなことをぶつぶつ言っている。 猫にとって、日が傾けば“帰る”が自然である。暗くなったら、冷えるし、カリカリも欲しい。無理してまで“野良気取り”はしない。 ある日、飼い主がぽつりと呟いた。「今日こそ早く帰ろうかな……でも上司が残ってるし」吾輩はテレビ台からぴょんと飛び降り、リモコンを落として ...
吾輩は猫である ― BIG ISSUE編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが街角の雑踏のなか、あの赤いベストを着た人間のそばにいることが多い。 彼は駅前の片隅に立ち、「ビッグイシューいかがですか」と声を出す。その声は風に消えそうで、しかし芯がある。新聞ではない。広告でもない。彼自身が“誌面と共に立っている”のだ。 最初、吾輩はその人の足元が温かかったので、ただ眠りに来ていた。だがある日、彼が小声でこう言ったのを聞いた。「これを売るのは、俺の名刺みたいなもんだ」 なるほど。この薄い一冊に、自分の存在を刷り込んでいるのだ。 人は時に、職を失い、家を失 ...
吾輩は猫である ― 鍼灸編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが最近、背中のあたりが少々こわばっている。お気に入りのタンスの上にひょいと飛べなくなった。 すると飼い主が、こう言った。「猫にもツボってあるのかな?」そして連れて行かれたのが、ペット対応の鍼灸院だった。 見た目はふつうの民家。中に入ると、ほのかなよもぎの香りと、静かな音楽。白衣の先生がやさしく話しかける。「じゃあ、百会(ひゃくえ)のあたりから始めてみましょうかね」 百会? 天の真ん中?そんなところに針を刺されて、たまるものか――と思ったが、不思議と痛くもかゆくもない。むしろ ...
吾輩は猫である ― 年金受給者編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。最近よく行く家の主(あるじ)は、お昼になるとテレビの前でうとうとし、ポストに届く“ねんきん定期便”をじっと眺めている。 「これだけじゃ足りないわね」と、ひとりごと。その声は、年金額のことを言っているのか、それとも“この先をどう生きるか”のことを言っているのか。 人間は働いて、税を納めて、年を重ねる。そしてようやく手にするのが“年金”という名の休息料だ。 だが現実は、スーパーのレジ前で小銭を数え、病院の窓口で高額療養費をめくり、誰にも頼れずに「年金だけが味方」と呟く姿がある。 ...
吾輩は猫である ― AIM 猫の腎臓病編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。最近、水をよく飲むようになった。獣医の話では、「腎臓が弱ってきている」とのこと。 猫にとって腎臓病は避けて通れぬ運命らしい。けれど、飼い主は言った。「大丈夫。AIMっていう希望があるから」 AIM――アポトーシス・インヒビター・オブ・マクロファージ。長くて難しいが、つまり腎臓のゴミを掃除してくれるタンパク質らしい。 人間にはちゃんと働くこのAIM、猫の体では眠ったままだとか。でも最近、研究者たちが**“働くAIM”を猫にも届けよう**と奮闘しているという。 ニュースでは、人工 ...
吾輩は猫である ― 飼い主の誕生日編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが今日が飼い主の誕生日であることは、知っている。毎年この日、部屋に花が飾られ、ケーキの甘い香りが漂い、飼い主はひとりでワインを開ける。 「おめでとう」と誰かに言われるよりも、自分でそっと、自分を祝う。その静けさを、吾輩は何年も見てきた。 今年も例外ではない。誰かが訪ねてくる気配はない。けれど、今年の吾輩には計画がある。 朝はいつもより早く、枕元へ行って座る。めずらしく、自分から喉を鳴らす。昼には、毛づくろいをして毛を整え、おやつの時間には、素直に膝に乗る。 飼い主は言った。 ...
吾輩は猫である ― 別姓「磯野一家といえぬ」篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが毎週日曜夕方、テレビから流れる「さざなみの家族像」には、少々見覚えがある。磯野、フグ田、波野――名字は違えど、屋根の下に笑顔があった。 だが現実では、「別姓では一家と呼べぬ」と人間たちは言い争っているらしい。なんでも、苗字が違えば“家族の一体感が壊れる”という。 ふむ、猫には名字もなければ戸籍もない。だが、においで家族を見分け、しっぽの動きで感情を読み、それで充分に“つながって”いるつもりだ。 そもそも、磯野家だって同じ名字ばかりではない。サザエさんはフグ田だし、ノリスケ ...
吾輩は猫である ― もし徴兵されたら篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが今日、ポストに届いていた一通の封筒を見て、人間たちはざわめいた。「まさか、おまえに召集令状…?」 冗談ではない。もし猫に兵役義務などというものが課されたら、世界は一変する。 まず、朝の点呼に集まらぬ。なにせ吾輩は朝日と共に起きるが、眠くなったらその場で寝る。起床ラッパより、腹時計のほうが正確である。 訓練? 駆け足?それならカラスを追い回すほうが100倍マシだ。 命令には従わぬ。それは猫の矜持である。「伏せ」と言われて伏せる猫など、この地球にはおるまい。あえて言えば、気が ...
吾輩は猫である ― 猫が首相になったら篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だがこのたび、与党の全会一致により「首相」に選ばれた。※なお理由は「人間よりマシかもしれぬ」であった。 組閣は順調だ。・外務大臣:三毛猫(海外の匂いに敏感)・財務大臣:黒猫(財布のヒモが固い)・官房長官:茶トラ(やたら人懐っこいが、重要なことは濁す) 記者会見では、質問に答えずにゴロリと寝転んだ。「説明責任は?」と詰め寄る記者に、ただしっぽを1回振った。これが“猫答弁”である。 議会では、野党が「予算案の具体性が欠ける!」と吠えた。吾輩は静かにカリカリを一粒床に落とし、こう言 ...