吾輩は猫である。名はまだない。 久しぶりに、潮の匂いが鼻に触れた。遠くで波が砕け、海鳥の声が空を横切っていく。この場所は、吾輩が生まれた“海沿いの町”。風は昔のことを全部覚えているようだ。 飼い主と暮らす都会の生活はにぎやかで、窓から見える景色も常に変わる。だが、心のどこかでいつも、この波の音だけは特別な響きを持っていた。 砂浜に足を下ろすと、ひんやりとした粒のひとつひとつがまるで「おかえり」と言っているようだった。潮風が毛並みをゆらし、吾輩はゆっくりと目を閉じた。 かつて、ここで母猫と並んで見た夕日。幼 ...