【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―倍返し 編―

2026年9月12日

吾輩は猫である ―倍返し 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
やられたことを、
よく覚えている。

一度されたことを、
二度返したくなる。

人間はこれを、
倍返しと呼ぶ。

なるほど。

気持ちは、
少し分かる。

猫も、
嫌なことをされれば、
しばらく距離を取る。

撫で方が雑なら、
次は近づかぬ。

しつこく追われれば、
一段高い場所へ逃げる。

だが、
倍にはしない。

一度引っかかれたから、
二度引っかく。

一回怒鳴られたから、
二倍怒鳴り返す。

それでは、
いつまでたっても終わらぬ。

吾輩は思う。

仕返しとは、
気持ちを晴らすようでいて、
次の仕返しを生むことがあると。

一倍返す。

二倍返す。

そのうち、
十倍返しになる。

人間は、
怒りにも利息をつけるらしい。

なかなか恐ろしい金融商品である。

だが、
倍返しにも、
別の使い方がある。

助けてもらったら、
倍の親切で返す。

応援してもらったら、
倍の努力で応える。

信頼されたら、
それ以上の信頼で返す。

こちらなら、
悪くない。

吾輩は思う。

返すなら、
恨みではなく、
恩を倍にすればよいのではないかと。

人間は、
傷つけられた記憶ほど強く残す。

だが、
優しくされた記憶も、
案外長く残る。

猫も同じである。

一度おやつをくれた者は、
しばらく忘れない。

二度くれれば、
かなり信頼する。

三度なら、
玄関まで迎えに行ってもよい。

吾輩は猫である。
倍返しは嫌いではない。

ただし、
返すものは選びたい。

怒りを倍にすれば、
争いが増える。

優しさを倍にすれば、
味方が増える。

倍返しとは、
相手を倒す技ではない。

何を倍にして返すかで、
その者の器が見える言葉なのだ。


返すなら
恨み半分
恩二倍

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gonta

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