【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―ダウンタイム 編―

2026年10月23日

吾輩は猫である ―ダウンタイム 編―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

人間は、
何かをしたあとに、
すぐ元通りになりたがる。

治療。

美容施術。

手術。

運動。

そして、
少し休む必要があると言われる。

人間はこれを、
ダウンタイムと呼ぶ。

吾輩は思う。

ずいぶん後ろ向きな名前である。

ダウン。

止まる。

休む。

人間は、
そういう時間を、
なぜか損したように感じる。

だが、
体はそう簡単ではない。

腫れる。

赤くなる。

痛む。

疲れる。

そして、
少しずつ戻っていく。

その時間も、
治る過程の一部なのである。

猫なら、
具合が悪ければ隠れる。

眠る。

動かない。

飯も少し控える。

無理して、

「本日も通常営業です。」

などとは言わない。

吾輩は思う。

人間は、
回復まで効率化しようとしすぎる。

明日には仕事へ。

週末までには元通り。

誰にも気づかれずに。

予定通りに。

だが、
体は予定表を見てくれない。

一日で戻る者もいれば、
少し長くかかる者もいる。

同じ施術でも、
反応は違う。

それでよい。

大切なのは、
早く見せかけることではない。

きちんと戻ることだ。

吾輩は思う。

ダウンタイムとは、
何もしていない時間ではない。

体の中では、
忙しく修復している。

表から見えぬだけである。

人間は、
見えない仕事を軽く見る。

だが、
本当に大切なことほど、
静かなところで進むことがある。

傷が閉じる。

炎症が引く。

疲れが抜ける。

それを待つ。

待つことも、
立派な行動である。

吾輩は猫である。
一日の大半を寝ている。

だが、
それをダウンタイムとは呼ばぬ。

必要時間である。

人間も、
少しくらいそう考えればよい。

ダウンタイムとは、
止まってしまった時間ではない。

次に普通に動ける自分へ戻るための、
静かな回復時間なのだ。


休むほど
見えぬところで
身が戻る

  • この記事を書いた人

gonta

-【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編