【吾輩は猫である 現代版】猫視点で描くオリジナル短編

吾輩は猫である ―国民の休日 編(なんだっけ?)―

2026年10月24日

吾輩は猫である ―国民の休日 編(なんだっけ?)―

吾輩は猫である。
名前はまだない。

朝になっても、
人間が起きてこない。

昨日も休みだった。

明日も休みらしい。

そして、
今日も休みだという。

吾輩は思う。

今日は、
何の日だったか。

元日。

海の日。

山の日。

猫の日。

最後のものなら、
吾輩にも分かる。

だが今日は、
どうも名前が出てこない。

人間はこれを、
国民の休日と呼ぶことがある。

二〇二六年九月二十二日。

昨日は、
敬老の日。

明日は、
秋分の日。

その間に挟まれた今日も、
法律によって休日になる。

なるほど。

何かを祝うから休みなのではない。

両側が休みだから、
真ん中も休む。

吾輩は思う。

ずいぶん猫的な制度である。

昨日休んだ。

明日も休む。

ならば、
今日だけ働く必要があるのか。

ない。

実に合理的である。

人間は普段、

「継続が大切。」

「休みすぎてはいけない。」

などと言う。

ところが法律まで、

「まあ、ここは休んでおけ。」

と言っている。

たまには、
素直に従えばよい。

しかも、
この休日には、
特別な行事がない。

何かを食べる決まりもない。

旗を立てる必要もない。

誰かに感謝しろとも言われない。

ただ、
休みである。

吾輩は思う。

それが、
なかなか良い。

人間は、
休みにまで意味を求めすぎる。

旅行しなければ。

出かけなければ。

有意義に過ごさなければ。

せっかくの休みだから、
何かしなければ。

それでは、
休んでいるのか働いているのか分からぬ。

何の日か、
よく分からない。

だから、
何もしなくてもよい。

昼まで寝る。

本を読む。

散歩する。

猫を撫でる。

そして、

「今日、何の日だっけ?」

と、
もう一度考える。

それくらいで、
ちょうどよい。

吾輩は猫である。
毎日が休日のように見えるらしい。

失礼な。

吾輩には、
食事。

毛づくろい。

縄張り確認。

昼寝。

なかなか忙しい予定がある。

だが、
祝日に挟まれたから休むという考え方には、
全面的に賛成する。

国民の休日とは、
大きな出来事を記念する日ではない。

働く理由が一日分なくなったのなら、
無理に理由を作らず休んでしまおうという、
少し贅沢で、
かなり猫らしい休日なのだ。


何の日か
分からぬままに
よく眠る

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gonta

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