吾輩は猫である。
名前はまだない。
朝になっても、
人間が起きてこない。
昨日も休みだった。
明日も休みらしい。
そして、
今日も休みだという。
吾輩は思う。
今日は、
何の日だったか。
元日。
海の日。
山の日。
猫の日。
最後のものなら、
吾輩にも分かる。
だが今日は、
どうも名前が出てこない。
人間はこれを、
国民の休日と呼ぶことがある。
二〇二六年九月二十二日。
昨日は、
敬老の日。
明日は、
秋分の日。
その間に挟まれた今日も、
法律によって休日になる。
なるほど。
何かを祝うから休みなのではない。
両側が休みだから、
真ん中も休む。
吾輩は思う。
ずいぶん猫的な制度である。
昨日休んだ。
明日も休む。
ならば、
今日だけ働く必要があるのか。
ない。
実に合理的である。
人間は普段、
「継続が大切。」
「休みすぎてはいけない。」
などと言う。
ところが法律まで、
「まあ、ここは休んでおけ。」
と言っている。
たまには、
素直に従えばよい。
しかも、
この休日には、
特別な行事がない。
何かを食べる決まりもない。
旗を立てる必要もない。
誰かに感謝しろとも言われない。
ただ、
休みである。
吾輩は思う。
それが、
なかなか良い。
人間は、
休みにまで意味を求めすぎる。
旅行しなければ。
出かけなければ。
有意義に過ごさなければ。
せっかくの休みだから、
何かしなければ。
それでは、
休んでいるのか働いているのか分からぬ。
何の日か、
よく分からない。
だから、
何もしなくてもよい。
昼まで寝る。
本を読む。
散歩する。
猫を撫でる。
そして、
「今日、何の日だっけ?」
と、
もう一度考える。
それくらいで、
ちょうどよい。
吾輩は猫である。
毎日が休日のように見えるらしい。
失礼な。
吾輩には、
食事。
毛づくろい。
縄張り確認。
昼寝。
なかなか忙しい予定がある。
だが、
祝日に挟まれたから休むという考え方には、
全面的に賛成する。
国民の休日とは、
大きな出来事を記念する日ではない。
働く理由が一日分なくなったのなら、
無理に理由を作らず休んでしまおうという、
少し贅沢で、
かなり猫らしい休日なのだ。
何の日か
分からぬままに
よく眠る