吾輩は猫である。名はまだない。
ここ大阪は、匂いと笑いが渦巻く町。粉もんの香りと、人間の関西弁が入り混じって、吾輩のひげも自然と前向きになる。
ミナミの路地裏に暮らす吾輩は、昼間は道頓堀の橋の下、夜は串カツ屋の裏口でうたた寝する。時折、酔っぱらいが「兄ちゃん、あの猫めっちゃ賢そうやで」と吾輩を指さすが、実際はただの空腹である。
この町の人間は、よう喋る。よう笑う。けれど最近では、その声の奥に少し疲れが混じってきたように感じる。カジノだ、IRだと景気のいい話は聞こえるが、地下鉄のホームでは浮かぬ顔のサラリーマンが猫背で立っている。
維新とかなんとかいう人間たちが「改革や!」と叫んでいるが、改革の先にあるものが、吾輩の好きな煮干しでなければ意味がない。人間も猫も、最終的には“食うて寝る”に落ち着くのである。
市役所のそばを通れば、スーツを着た人々が忙しそうに行き来する。だが、吾輩は知っている。ほんまに大事な話は、千日前の立ち飲み屋で交わされるのだ。
笑いと皮肉の文化で生きてきた大阪。
その真ん中で、吾輩は今日もあくびをひとつ。
「まあ、なんとかなるやろ」
それがこの町の、そして吾輩の生きる術である。