吾輩は猫である。名はまだない。
最近よく行く家の主(あるじ)は、お昼になるとテレビの前でうとうとし、
ポストに届く“ねんきん定期便”をじっと眺めている。
「これだけじゃ足りないわね」と、ひとりごと。
その声は、年金額のことを言っているのか、
それとも“この先をどう生きるか”のことを言っているのか。
人間は働いて、税を納めて、年を重ねる。
そしてようやく手にするのが“年金”という名の休息料だ。
だが現実は、
スーパーのレジ前で小銭を数え、
病院の窓口で高額療養費をめくり、
誰にも頼れずに「年金だけが味方」と呟く姿がある。
猫には年金はない。
けれど、陽だまりがあればそれで足りる。
人間にも、数字ではなく“あたたかさ”で支えられる仕組みがあってもいいのではないか。
この家の主は、毎朝吾輩にカリカリを分けてくれる。
「これが最後の袋かもね」なんて笑うが、
その手は、誰かのために差し出すことをまだやめていない。
余生とは 与える手から 始まる日
年金受給者。
それは、“働き終えた人”ではなく、“生きてきた重みを持つ人”。
吾輩は今日も、その足元に身を置いて、
陽だまりと静けさを半分、もらっている。