吾輩は猫である。
名前はまだない。
夏になると、
人間は白い球を追いかける。
土の上を走り、
汗を流し、
一球に声を張る。
人間はこれを、
甲子園と呼ぶ。
勝てば、
次がある。
負ければ、
その夏は終わる。
実に、
分かりやすい。
吾輩は思う。
だからこそ、
人間はあれほど夢中になるのだろうと。
いつまでも続くものなら、
一球の重さは薄くなる。
だが、
終わりがあると分かっているから、
全力で走る。
猫なら、
暑い昼間に走り回ることなど、
まずしない。
日陰へ行く。
水を飲む。
涼しくなるまで、
じっと待つ。
甲子園球児には、
到底向いていない。
だが、
一つだけ分かることがある。
仲間と一緒に、
同じものを追いかける時間は、
勝敗だけでは測れない。
打てなかった球。
取れなかった打球。
届かなかった一歩。
その悔しさも、
後になれば、
自分の一部になる。
人間は、
優勝校を覚える。
だが、
選手本人に残るのは、
もっと細かな記憶なのだろう。
朝早く起きたこと。
泥だらけになったこと。
仲間に助けられたこと。
最後に見上げた空。
それら全部が、
その人だけの甲子園になる。
吾輩は思う。
青春とは、
勝った者だけにあるものではない。
負けて泣いた者にも、
ベンチで声を出した者にも、
最後まで試合に出られなかった者にもある。
結果は一つ。
だが、
夏の記憶は、
人数分だけある。
吾輩は猫である。
甲子園には出ぬ。
だが、
一つの球に、
仲間と時間と夢を詰め込む人間たちを見ていると、
少しだけ胸が熱くなる。
猫甲子園とは、
勝者を決める場所ではない。
限られた夏の中で、
どこまで自分たちらしく走り切れるかを、
確かめる場所なのだ。
白球に
それぞれの夏
宿りけり