gonta

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/22

吾輩は猫である ― 母の日篇 ―

吾輩は猫である ― 母の日篇 ― 吾輩は猫である。名はないが、「コラまたのって!」とよく呼ばれる。 今日は人間界で「母の日」とやら。町の花屋は赤いカーネーションで溢れ、スーパーマーケットでは「感謝の気持ちをカタチに」などと書かれたチラシが舞っておる。どうやら人間は、特定の日にだけ感謝を思い出す生き物のようだ。 吾輩にも母はいた。目を開ける前から温かかった、灰色の長毛種である。物静かで、吾輩がじゃれて耳を噛んでも、怒りはせずに舐めてくれた。その背中のぬくもりは、今日も忘れぬ。 だが吾輩が知る限り、人間の母た ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/20

吾輩は猫である ― 大阪篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。ここ大阪は、匂いと笑いが渦巻く町。粉もんの香りと、人間の関西弁が入り混じって、吾輩のひげも自然と前向きになる。 ミナミの路地裏に暮らす吾輩は、昼間は道頓堀の橋の下、夜は串カツ屋の裏口でうたた寝する。時折、酔っぱらいが「兄ちゃん、あの猫めっちゃ賢そうやで」と吾輩を指さすが、実際はただの空腹である。 この町の人間は、よう喋る。よう笑う。けれど最近では、その声の奥に少し疲れが混じってきたように感じる。カジノだ、IRだと景気のいい話は聞こえるが、地下鉄のホームでは浮かぬ顔のサラリーマ ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/20

吾輩は猫である ― 教皇選挙篇 ―

吾輩は猫である。名はないが、名は神のみぞ知る。 ここはヴァチカン。大理石の回廊に陽が差すと、吾輩はサン・ピエトロ広場の片隅で優雅に昼寝をする。天を仰げば大聖堂、振り向けば修道士、人間どもは皆、神を語って忙しい。 最近、枢機卿たちがざわついている。「次の教皇は誰か」――選挙が近いのだという。煙突から白い煙が上がる日、人間たちは「精霊の導き」とか「聖なる投票」とか、立派な言葉で盛り上がる。 だが吾輩から見れば、あれは“宗教版の椅子取りゲーム”である。帽子と杖をかけた玉座を巡って、老人たちが真顔で牽制し合う姿は ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/20

吾輩は猫である ― 大谷翔平篇 ―

吾輩は猫である。名はないが、名は神のみぞ知る。 吾輩は猫である。名はまだないが、呼ばれれば振り向く。エンゼルスではなく、裏通りの駐車場が吾輩のホームである。 それにしても最近、人間どもが「ショウヘイ、ショウヘイ」と騒がしい。朝から晩まで、TV、SNS、駅のポスター、はたまたコンビニのレジ横まで、どこにでも大谷翔平がいる。まるで“野球界のマタタビ”である。 投げて打って走って微笑んで、何でもこなす彼の姿に、吾輩の飼い主など「もう神やな」と呟いていた。だが神とはもっと気ままで理不尽な存在ではなかったか?少なく ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/20

吾輩は猫である ― 横浜篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。ここ横浜は、かつて黒船が見えたという港町。吾輩の祖先もきっとそのあたりで開化の風に吹かれていたに違いない。 最近では「ハマっ子」の気風も薄れ、人の顔もビルの壁もガラスのように冷たい。ランドマークの足元で、吾輩が毛づくろいをしていようが誰も気に留めぬ。いや、それどころかスマホのレンズを向けてくるのが関の山である。 桜木町では再開発が進み、古い市場や路地裏の飲み屋が次々と消えていく。吾輩が昔なじみの三毛と再会した角も、今ではカフェとマンションが並ぶだけ。進歩とは便利さの名を借りた ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/20

吾輩は猫である ― 草津温泉篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。群馬の山あい、湯の香ただよう草津にて、日々のんびりと湯もみ娘を眺めて過ごしている。 人間たちは「天下の名湯」とやらに惹かれて、週末ともなれば押し寄せる。吾輩にとっては、湯けむりの向こうにちらつく観光バスの列など、ただの迷惑である。おちおち昼寝もできぬ。 ある日、湯畑の脇で観光客の話し声を耳にした。「また温泉税が上がるってよ」「宿代もなかなか…」。ふむ。吾輩には金も財布もないが、どうやら湯に浸かるにも人間界では“見えぬ湯垢”がついて回るらしい。 それでも、湯もみショーには歓声が ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/18

吾輩は猫である ― 兵庫県政篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。神戸の片隅に暮らして幾星霜、人間の営みにゃんとも奇妙なものを感じている。 最近、ご近所の飼い主たちが騒がしい。「知事がまたやらかした」「議会が揉めとる」などと井戸端会議で盛り上がる。吾輩は耳をぴくりと動かしながら、縁側で毛づくろいをするのみである。 兵庫県というのは、広い顔を持つ猫のような土地だ。北は雪深く、南は海風に吹かれ、東西には播磨、但馬、丹波、摂津、淡路――と、まるで多頭飼いの猫屋敷のような構成である。ゆえに、まとめ役たる知事の役割は重大だが、最近ではどうも「爪とぎ」 ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/5/18

吾輩は猫である ― 関税戦争篇 ―

吾輩は猫である。名はまだない。この頃、ご主人がやたらとカリカリを買い渋る。理由を問えば、「関税が上がってるからな」と鼻を鳴らす。何のことやら、さっぱりである。 しかしある日、吾輩はこっそりテレビという魔法の箱を覗き見た。画面の中で、人間たちが「輸入が高くなった」「うちの工場が困る」と吠え合っている。どうやら、国という大きな猫たちが「うちのモノが一番だ!」と睨み合い、互いの餌皿を引っ掻いているらしい。 なるほど、これは“にゃわばり争い”である。吾輩もかつて隣の三毛と魚の頭をめぐって小競り合いをしたものだ。だ ...