吾輩は猫である ―投薬補助おやつに懐柔される猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 飼い主が、見慣れぬ袋を取り出した。それは、普段のおやつよりも、少しだけ“本気”の匂いがする。 ――怪しい。 「これ、好きでしょ?」そう言って差し出されたそれは、柔らかく、温度もよく、触れた瞬間にこちらの警戒心を溶かしにかかってきた。 吾輩は一歩、距離を取った。学習している。最近の食べ物には、裏がある。 だが、嗅覚が告げる。これは、かなり良い。 飼い主は静かだ。急がない。追いかけない。ただ、そこに置く。――ずるい。 吾輩は思案した。これは罠か。それとも、条件付きの和平交渉か。 ...
吾輩は猫である ―錠剤苦手な猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 白くて、小さくて、においのしない敵が現れた。――錠剤である。 飼い主は優しい声で言う。「すぐ終わるよ。」だが、その言葉を信じてよい結果になった試しは少ない。 まずは、おやつに混ぜる作戦。吾輩は一口で見抜いた。味ではない。“違和感”である。猫は、違和感の専門家だ。 次は、喉の奥に入れる正攻法。口を開けられ、上を向かされる。吾輩は全力で抵抗した。四肢、しっぽ、視線、すべてを使って拒否する。 「お願い……」飼い主の声が、だんだん必死になってくる。吾輩は思った。――これは勝ち負けで ...
吾輩は猫である ―猫のレントゲン―動かないで― 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 今日は病院である。白くて、静かで、なにやら機械の音がする場所だ。診察のあと、獣医殿が言った。「レントゲンを撮りましょう。 ――動かないでくださいね。」 ……それが一番難しい。 台の上は冷たく、姿勢は不自然。吾輩は思う。なぜ猫に“動くな”を求めるのか。それは、風吹けば揺れる生き物に風を止めろと言うようなものだ。 だが、飼い主の声が聞こえた。「大丈夫だよ。すぐ終わるから。」その一言で、胸の奥がすっと落ち着いた。 機械が近づき、「はい、いきます。動かないでー。」吾輩は全身の力を抜 ...
吾輩は猫である ―世界の猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 窓辺で丸くなりながら、吾輩は時々、世界のことを考える。この空の下には、吾輩と同じように伸びをし、欠伸をし、眠りにつく猫が無数にいる。 砂漠の国では、日陰を選ぶ猫がいる。雪の国では、毛を膨らませて冬を越す猫がいる。港町では、魚の匂いと共に生きる猫がいる。 言葉は違えど、猫はどこでも猫である。急がず、無理をせず、居心地のよい場所を見つける天才だ。 人間たちは国境を引き、争い、話し合い、また悩む。だが猫は、境界線の上で丸くなり、どちらにも属さず、ただ今日を生きる。 世界には、守ら ...
吾輩は猫である ―成猫式 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある日、飼い主が改まった声で言った。「今日から君は、成猫だね。」成猫式――どうやら人間界には、節目を言葉にして確かめる文化があるらしい。 式といっても、特別な壇上があるわけではない。赤いじゅうたんも、長い祝辞もない。あるのは、少し良いごはんと、いつもより丁寧な撫で方だけだ。 吾輩は子猫の頃を思い出す。よく転び、よく鳴き、よく守られていた。だが今は違う。無駄に鳴かず、距離を測り、自分の居場所を自分で選ぶ。 飼い主は言った。「もう、何でもできるね。」吾輩は思った。――いや、でき ...
吾輩は猫である ―令和のにゃめんなよ 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 最近、街は穏やかだ。言葉はやさしくなり、角は丸く削られ、争いは通知音の向こうで起きる。だが、油断してはならぬ。 令和の世においても、「にゃめんなよ」は健在である。声を荒げる必要はない。牙を見せる必要もない。ただ、背筋を伸ばして“自分である”こと。 吾輩は知っている。人は忙しいと、小さな存在を見落とす。だが、静かに場を読む猫は、一瞬で空気を変える。 列に割り込まれそうになれば、一歩だけ前に出る。無理を押し付けられれば、黙って距離を取る。争わず、しかし退かない。それが令和流の“ ...
吾輩は猫である ―猫お年玉 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 正月の朝、飼い主が小さな封筒を手にして笑っていた。赤くて、つるりとして、なにやら特別そうである。「はい、お年玉。」 吾輩は首をかしげた。封筒は軽く、振っても音がしない。――これは食べ物ではない。 中から出てきたのは、新品の猫じゃらしと、少し高級そうなおやつ。「今年も元気でいようね。」その言葉が、いちばんの中身だった。 吾輩はじゃらしに一瞬だけ反応し、すぐに興味を失った。だが、おやつは違う。ゆっくり味わい、満足げに舌をしまう。 飼い主は言う。「猫にお金はいらないもんね。」その ...
吾輩は猫である ―初詣、二礼二拍手一礼が気になる猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 初詣に来た。人々は皆、同じ動きをしている。前へ進み、立ち止まり、深く頭を下げ、手を打ち、もう一度、頭を下げる。 ――二礼二拍手一礼。どうにも気になる。 吾輩は飼い主の足元で、その一連の所作をじっと観察していた。なぜ二回なのか。なぜ拍手なのか。なぜ最後に、もう一度なのか。 猫の世界には、こうした決まった型はない。挨拶は匂いで確認し、信頼は距離で測り、感謝は喉を鳴らして伝える。 だが、人間たちは違うらしい。所作をそろえることで、気持ちを整えているように見える。二礼で、日常を下ろ ...
吾輩は猫である ―初夢 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 正月の夜は静かだ。テレビの音も早く消え、家の中には、こたつの余熱と眠気だけが残っている。飼い主は「いい初夢を見るんだよ」と言って灯りを落とした。 吾輩は丸くなり、ゆっくりと夢の中へ滑り込んだ。 夢の中で吾輩は、大きなひなたにいた。空は高く、風は冷たくなく、地面はちょうどいい温度だ。 遠くから、富士山のような形の爪とぎが見え、そのそばには立派な鷹が羽を休め、足元には大きなナスが転がっていた。――人間で言うところの、縁起の良い夢らしい。 だが吾輩は、それらに特別な興味は持たなか ...
吾輩は猫である ―猫宝くじに当たる 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある朝、飼い主が新聞を広げたまま固まっていた。目は一点を見つめ、手は微かに震えている。「……当たってる。」どうやら宝くじが当選したらしい。 吾輩は理解した。今日は、缶詰の音が違う日である。 飼い主は言った。「一等じゃないけど、結構すごいよ。」その声は静かだが、胸の奥で何かが弾んでいるのが分かる。 その日、吾輩の皿には見慣れぬ高級そうなフードが盛られ、ベッドはふかふかに新調され、爪とぎまで新品になった。――世界が、少しだけやさしくなった。 だが飼い主は浮かれすぎなかった。「全 ...









