吾輩は猫である ―年始のご挨拶 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝の光が、いつもよりやわらかい。カレンダーが新しくなり、家の空気も少し改まっている。どうやら今日は、年始のご挨拶をする日らしい。 飼い主は背筋を伸ばし、「今年もよろしくお願いします」と画面越しに何度も頭を下げている。人間とは、新しい年になると、あらためて言葉を整える生き物のようだ。 吾輩はその足元に座り、静かに様子を見守った。猫に挨拶の言葉はないが、姿勢で示すことはできる。尻尾を巻き、耳を落ち着かせ、ただ、そこに居る。 挨拶とは、何かを約束することではなく、「これからも共に ...
吾輩は猫である ―大晦日 一年を振り返ってみよう 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 今日は大晦日。外は冷え、家の中はどこか落ち着かぬ。飼い主は掃除を終え、こたつに入り、テレビをつけたまま静かにしている。一年が、そっと終わろうとしているのだ。 吾輩は窓辺に座り、この一年を思い返してみた。春、日差しの場所を覚え、夏、冷たい床を探し、秋、抜け毛とともに風を感じ、冬、膝のありがたさを知った。 大きな出来事は少なかったかもしれぬ。だが、毎日のご飯、変わらぬ水、名前を呼ぶ声。それらが揃っていたことが、何よりの出来事だった。 飼い主も一年を振り返っているようだ。「いろい ...
吾輩は猫である ―地域猫の冬 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 吾輩は家猫だ。雨の日も、暑い日も、屋根と毛布と決まった皿がある。夜は鍵のかかる扉の向こうで、静かに眠る。 ある日、窓の外に猫がいた。首輪はなく、耳に小さな切れ込みがある。――地域猫である。 彼は塀の上から吾輩を見て言った。「ここ、あったかそうだな。」吾輩は答えた。「そっちは、風の匂いがするな。」 彼の暮らしには、決まった時間も、決まった寝床もない。だが、通りの人が餌を置き、誰かがそっと見守っている。 吾輩の暮らしには、外の自由はないが、病院も、心配する声も、帰る場所もある。 ...
吾輩は猫である ―家猫と地域猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 吾輩は家猫だ。雨の日も、暑い日も、屋根と毛布と決まった皿がある。夜は鍵のかかる扉の向こうで、静かに眠る。 ある日、窓の外に猫がいた。首輪はなく、耳に小さな切れ込みがある。――地域猫である。 彼は塀の上から吾輩を見て言った。「ここ、あったかそうだな。」吾輩は答えた。「そっちは、風の匂いがするな。」 彼の暮らしには、決まった時間も、決まった寝床もない。だが、通りの人が餌を置き、誰かがそっと見守っている。 吾輩の暮らしには、外の自由はないが、病院も、心配する声も、帰る場所もある。 ...
吾輩は猫である ―串焼き 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 夕暮れどき、街角から漂ってきた。炭の匂い、脂のはぜる音、そして、なぜか心を急かす香ばしさ。――串焼きである。 赤提灯の下、人間たちは立ち止まり、串を片手に語り合っている。ねぎま、皮、つくね。一本ずつ、丁寧に焼かれ、一瞬で消えていく。儚いが、満足げな顔が残る。 吾輩は少し離れた場所で座り、その光景を眺めていた。肉は食べられぬ。塩分も強すぎる。だが、匂いだけで胸が満たされることがあるのを、吾輩は知っている。 焼き手が串を返すたび、炎がふっと立ち上がる。その瞬間、人間たちは黙り、 ...
吾輩は猫である ―聖地秋葉原 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 人はこの街を「聖地」と呼ぶ。秋葉原。電気の街であり、趣味の街であり、祈りにも似た情熱が集まる場所だという。 吾輩が初めて足を踏み入れたとき、空気が少し震えているように感じた。看板はまぶしく、人の流れは速い。だが、その奥に、一点に集中した“まなざし”が無数に存在している。 ガラス越しに並ぶフィギュア、棚に積まれた同人誌、イヤホン越しに流れる音楽。人々は皆、自分の「好き」を守るために、ここへ巡礼してきているのだ。 吾輩は路地裏で立ち止まり、静かな場所を見つけた。表通りの喧騒とは ...
吾輩は猫である ―賞与 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 その日は朝から、飼い主の歩き方が少し軽かった。鼻歌まじりでコーヒーを淹れ、スマホを何度も確認している。――これは何かある。 昼過ぎ、飼い主が小さくガッツポーズをした。「出た……!」どうやら“賞与”なるものが支給されたらしい。人間界のご褒美制度である。 吾輩はすぐに理解した。この日は、・帰りが少し早く・機嫌が良く・夕飯がやや豪華になる確率が高い。 案の定、夜にはいつもより良い缶詰が開いた。「今日は特別だよ」その言葉を、吾輩は何度聞いたことだろう。だが“特別”が何度あっても困ら ...
吾輩は猫である ―猫の抗体検査 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝から、飼い主の様子が少し違った。キャリーが出され、いつもより声がやさしい。――これは、病院に行く日である。 今日は「抗体検査」というものを受けるらしい。どうやら、体の中に見えない盾がきちんと備わっているかを調べるのだという。吾輩にはよく分からぬが、飼い主の顔は真剣だった。 診察台の上は、相変わらずひんやりしている。獣医殿は落ち着いた声で言った。「少しだけ採血しますね。すぐ終わりますよ。」吾輩は耳を伏せ、ぐっと耐えた。誇りは傷つかぬ。ほんの一瞬のことだ。 待合室で結果を待つ ...
吾輩は猫である ―クリスマスイブ 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 今夜は、家の中がいつもと少し違う。窓辺には小さな灯り、部屋には甘い匂いが漂い、外からは鈴の音が聞こえてくる。――どうやら、クリスマスイブらしい。 飼い主は慌ただしくも楽しそうだ。ケーキを切り、チキンを温め、ときどき吾輩の頭を撫でながら、「もうすぐだよ」と独り言を言っている。 吾輩はツリーの下に座り、揺れるオーナメントを眺めていた。光は派手だが、どこか控えめで、闇を押しのけるのではなく、そっと寄り添っているように見える。 夜が深まると、飼い主はソファに腰を下ろし、吾輩を呼んだ ...
吾輩は猫である ―猫も愛嬌 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 世の中には「愛嬌が大事だ」と言う人がいる。笑顔だとか、気配りだとか、場の空気を読む力だとか。なるほど、人間界はなかなか忙しい。 だが、吾輩は思う。愛嬌とは、作るものではなく、“にじみ出るもの”ではないかと。 吾輩は特別に笑顔を練習したことはない。ただ、眠いときは眠そうな顔をし、嬉しいときはしっぽが揺れ、構ってほしいときは、そっと近づくだけだ。 それでも人は言う。「この子、愛嬌あるよね」と。 先日、来客があった。吾輩は逃げもせず、かといって無理に近づきもせず、少し離れた場所で ...









