吾輩は猫である。名はまだない。
今日も朝から窓辺で丸くなり、黙って世を見ていた。
テレビでは騒ぎが起きている。
誰かが失言をしたとか、反論が遅いとか。
言ったら叩かれ、言わなきゃもっと叩かれる。
発言とは、刃物のように扱われる時代である。
そんな中、吾輩は語らない。
政治にも、戦争にも、年金にも、沈黙を守る。
だが、ある日――
SNSでバズったのは、こういう一文だった。
「あの猫、黙ってるのは加担と同じでは?」
……ほう、そうくるか。
吾輩は、何も言っていない。
だが「言わないこと」が、都合よく解釈されるらしい。
中立は存在せず、すべては“どちら側か”を問われる。
黙る猫 なぜか右にも 左にも
だが猫はそもそも、どちらでもない。
陽だまりのある方へ座り、
においのきつくない方を選び、
人の声よりも、静けさを優先する。
黙っているのは、同意でも拒否でもない。
まだ言葉にしきれない“余白”の時間なのだ。
叩かれたってかまわぬ。
吾輩は今日も語らぬことで、
ただ、問いを残す。