吾輩は猫である ― 年金底上げ篇 ―
吾輩は猫である ― 年金底上げ篇 ― 吾輩は猫である。名はまだない。縁側で日向ぼっこをしていたら、飼い主がニュースを見て呟いた。「年金が底上げされるらしいわ。ほんま助かるわぁ」 人間というのは老後が近づくと、財布と制度の心配ばかりする。そのわりに、若いときは「自分は大丈夫」と言って外食と旅行に夢中だった。猫には“将来”という概念がない。だがそれゆえに、吾輩たちは今日をよく生きる。 年金というのは、働いた分を後で戻してもらう仕組みだそうだ。ならば、働けぬ猫には何ももらえぬのか?いや、吾輩は家を守り、膝に乗り ...
吾輩は猫である ― スムージー篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。今朝もキッチンから「ヴイィィン」という音が聞こえた。飼い主がスムージーなるものを作っているらしい。 バナナにベリー、豆乳にヨーグルト。ときどき葉っぱのようなものも入っているが、それでも意外とうまいらしい。「今日のは当たりや!」と満足げな顔でグラスを傾けていた。 たしかに、吾輩も一口だけペロリとしたことがある。思っていたより甘く、冷たく、口あたりもなめらかだった。なるほど、これは癖になるかもしれぬ。だが、毎朝ブレンダーの轟音で目覚める身としては、複雑な気持ちである。 猫は、食べ ...
吾輩は猫である ― リングキャット篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、今日は「リングキャット」なる大役を仰せつかった。 聞けば、これは人間の結婚式とやらで、指輪を新郎新婦の元へ届けるという重責らしい。なるほど、可愛い衣装を着せられ、首輪に小箱をくくりつけられた吾輩は、今、バージンロードの入口で控えている。 「かわいい〜!」「天使みたい!」と、参列者どもが騒いでおるが、吾輩にとっては騒がしい音楽と見知らぬ匂いに満ちた修羅場である。しかもこの衣装、動きづらい。しっぽがまともに振れぬではないか。 だが、飼い主が「おまえだけが頼りなんだ」と呟いたのを ...
吾輩は猫である ― 汚染水篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、港町の堤防の上で、今日も風を読んでいる。最近、この海をめぐって人間たちが騒いでいた。「処理水が放出される」「魚が売れなくなる」――そんな声が飛び交っていた。 だが今は、少し風向きが変わったようだ。海外の誰それも「問題はない」と言い、学者たちも「科学的に安全」と繰り返す。それでも、人々の心は数字だけで動くわけではない。海は見えるが、信頼は見えない。 吾輩には、嘘を見抜く術はない。だが、毎日この海を眺めていれば、分かることもある。海の色も匂いも変わっていない。魚も跳ねている。カ ...
吾輩は猫である ― 動物病院篇 ―
吾輩は猫である。名はあるが、ここでは呼ばれたくない。キャリーに入れられ、揺られ揺られて、連れてこられたのは“あの場所”――動物病院である。 入口の空気からして異様だ。消毒薬の匂い、犬の遠吠え、震えるハムスター。待合室では猫も犬も、人間も皆、目を合わせようとしない。まるで処刑前の沈黙である。 「すぐ終わるからな」と飼い主が言う。その“すぐ”が、信用ならぬ。過去の“すぐ”は注射だったし、もっと前の“すぐ”は去勢だった。 それでも、奥から現れた白衣の者は、妙に優しい声を出す。「こんにちは〜、〇〇ちゃん♡」それが ...
吾輩は猫である ― 備蓄米篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。台所の下の奥深く――その暗がりに、静かに眠る白い袋がある。「備蓄米」と書かれたその袋は、飼い主が災害用にと買い込んだものらしい。 いつかの地震、どこかの停電。ニュースに触発されては、人間はすぐに米や水を蓄える。だが時間が経てば、安心だけを残して中身のことは忘れてしまう。吾輩は知っている。3年ものの備蓄米は、もう賞味期限を過ぎている。 それでも捨てられずに棚の奥――まるで、人間の「心配だけして何もしない」性分を象徴しているようだ。 「非常時のために」――立派な言葉だ。だが日々の ...
吾輩は猫である ― 二人の魔女篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、劇場の天井裏から舞台を見守っている。今日もまた、スポットライトの中で、二人の魔女が歌っていた。 ひとりは緑色の顔を持つ、風変わりな魔女。もうひとりは、金髪がまばゆい人気者。名はエルファバとグリンダというらしい。違う見た目、違う考え、だが確かに――心のどこかで通じ合っている。 人間は見た目に惑わされる生き物だ。緑の魔女を「悪い」と決めつけ、笑顔の魔女を「正しい」と信じる。だが吾輩は、夜のしじまに黙って涙をぬぐうエルファバの姿を知っているし、誰にも見えぬところで祈るグリンダの背 ...
吾輩は猫である ― 横綱誕生篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、両国国技館の裏手で暮らしている。今日、ひとりの力士が横綱に昇進したらしい。テレビの中では白い綱が締められ、記者の声とフラッシュの嵐。人間はやはり、「強さ」に拍手を送る生き物だ。 「綱を締めるというのはな、ただ強いだけでは務まらん」と、昔、床山の男がつぶやいた。品格だの、責任だの、たしかに難しい言葉ではあるが、吾輩から見れば、それは“孤独”の言い換えのように思える。 強くなれば、土俵の上では敵しかいない。勝ち続ければ、敗れたときの声が大きくなる。人間とは不思議だ。勝者を讃えな ...
吾輩は猫である ― 猫ホテル篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、今は見知らぬ匂いのする部屋にいる。そう、ここは「猫ホテル」なる場所らしい。飼い主が旅行とやらに出かけるとかで、吾輩をここに預けたのだ。 「快適な個室」「24時間空調完備」「ストレスフリー」――人間が謳う文句はどれも麗しい。だが、吾輩に言わせれば、これはまごうことなき監禁である。 まず、知らぬ猫の声が聞こえる。薄い壁の向こうでは、三毛の女王が騒いでおるし、斜め下の黒猫は夜な夜な「出せ」と鳴く。スタッフとやらは笑顔だが、吾輩のしっぽの動きの意味を理解せぬ。カリカリは銘柄が違うし ...
吾輩は猫である ― 五月晴れ篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、晴れた日の名誉顧問のような顔をして、縁側に寝そべっている。 このところ、雨ばかりだった。庭の草はぐんぐん伸び、飼い主は洗濯物とため息を交互に干していた。だが今朝、雲がほどけ、空が開いた。風は乾いて、空は青い。人間どもはこれを「五月晴れ」と呼ぶそうな。なるほど、うまいこと言う。 陽の光が、吾輩の毛をふんわりと温めてくる。ときおり風が通り抜け、鼻先に新緑の匂い。ただそれだけで、今日が良い日であることが、わかる。 人間はこの日を「洗濯日和」だの「お出かけ日和」だのと名づけては忙し ...