吾輩は猫である ― 家系ラーメン戦争編―
吾輩は猫である。名はまだない。だが、この通りに漂う香りだけは忘れない。豚骨と鶏油とニンニク――それは、町の空気を支配する香り。 今日も店の前に人が並ぶ。隣の新店舗がオープンしたらしく、かつての本家、直系、分家、独立系が火花を散らしている。 「うちは“家系の中の家系”だから!」「いや、うちは“本物のスープ”使ってるから!」 人間というのは、ラーメン一杯でここまで熱くなれるのかと、吾輩は湯気の中で首をかしげた。 味の前 系譜で揉める 人の性(さが) かつてこの路地には、煮干しそばの店もあった。だが今は、全方位 ...
吾輩は猫である ― 現在の原爆の日 編―
吾輩は猫である。名はまだない。だが、毎年八月六日の朝、この家の空気が少し違うのは、知っている。 飼い主はテレビをつけ、静かに目を伏せている。画面には折鶴、鐘の音、白い花。そして、あの言葉――「二度と繰り返しませんように」 記憶とは 風よりかすか 蝉しぐれ 人間たちは忙しくなりすぎた。防災アプリはあっても、「平和アプリ」は更新されぬまま。 子どもは言う。「学校で黙祷したけど、なんでだっけ?」飼い主は答えに詰まる。“説明の難しい静けさ”が、この日にはある。 かつて、この家にも祖母と呼ばれる人がいた。原爆を体験 ...
吾輩は猫である ― 熊 編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが、ここ数日、町が妙にざわついている。 「また出たらしいよ、熊」「通学路の近くだって。怖いねえ」――人間たちが声をひそめるたびに、パトカーとヘリコプターの音が重なる。 飼い主は玄関の戸締まりを確かめながら言った。「チョビ、お前も気をつけてな」吾輩は首をかしげる。熊と吾輩、似ても似つかぬのに、同じ“野生”という一括りで語られることもある。 山が痩せてきたのは、知っている。どんぐりの数も減った。人間が造成し、柵を立て、そのくせ、果実を地面に放って帰る。 熊よ熊 お前の罪は 空腹 ...
吾輩は猫である ― ダンボール 編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だがAmazonとヤマトの段ボールは嗅ぎ分けられる。 朝、ピンポーンと鳴るチャイム。人間は小走りに玄関へ向かうが、吾輩はもうその時点で準備している。箱の中に入る気満々である。 「中身より、箱に反応するってどういうこと?」人間はよくそう言う。だが、理解していない。ダンボールは要塞であり、寝床であり、戦場である。 ダンボール 猫にとっての 四畳半 まず、音がいい。薄くこすれば爪が鳴き、跳ねれば低く響く。中に入れば、孤独と安心が混ざりあう。 吾輩にとって、この世で最も“自分だけの場 ...
吾輩は猫である ― ペット信託 編 ―
吾輩は猫である。名はチョビ。年齢は推定13歳、人間ならもう後期高齢者である。 先日、飼い主が静かに言った。「チョビが長生きしても、私が先に…ってこともあるからね」そして書類を広げた。「ペット信託契約書」――なるほど、吾輩の余生を、紙に預けるつもりらしい。 人間の制度というのはいつもややこしい。信託財産、受託者、給付金の範囲、そして「愛護義務」なる言葉。 ふむ、「世話することを法律で誓わせる」とは、人間という種族の誠実な臆病さである。 “万が一”に 書面で守る 吾輩の飯 書かれた未来には、吾輩のチュールの本 ...
吾輩は猫である ― 猫の戸籍謄本 編 ―
吾輩は猫である。名は、たぶん「トラ」。だが本当の名前は、誰も知らぬ。ある日、飼い主が役所に言った。「この子の戸籍、取れますか?」 窓口の職員は笑って答えた。「猫には戸籍、ないんですよ」――吾輩はそれを聞いて、ふと考えた。もし、猫にも戸籍があったなら。 本籍:千葉県某市物置下出生届提出者:野良の母同居開始:令和元年六月一日、某アパート202号室転籍:令和三年、都心のペット可マンションへ世帯主:人間(40歳・会社員)続柄:愛猫(次男的ポジション) 「別姓」も当然である。吾輩は“田中トラ”ではなく、ただの“トラ ...
吾輩は猫である ― 東京カレンダー × 白石麻衣 編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが今夜、表紙に載る猫としての誇りがある。 撮影場所は渋谷の高層階、会員制レストラン。バーカウンターの向かいに座るのは、白石麻衣。 シャンパングラスを傾ける指先、夜景を背にしたまなざし。その静けさに、吾輩は――吠えぬ強さと、笑わぬ優しさを見る。 「この子、すごく落ち着いてるんですね」白石は、吾輩の隣にそっと手を添えた。体温は高すぎず、爪も立てない。ふと感じた、似た者同士の気配。 人前に出る仕事をしながらも、どこか距離を保ち、自分の領域は譲らない。――猫と女優。異なるようで、孤 ...
吾輩は猫である ― 肩のり猫ボブ 編 ―
吾輩は猫である。名は…ボブ。――いや、これは吾輩が名を持つ数少ない例である。 飼い主はかつて、少し人生につまずいていた。職もなく、心にも隙間風が吹いていたころ、拾われたのが吾輩である。 最初は膝の上。次に胸の上。そして、気づけば吾輩は、飼い主の肩の上に乗るのが日課となった。 そこは不思議と落ち着く場所だった。視線は高く、風も感じる。何より、人の心の近くにいられる高さだ。 通りすがりの人間たちは驚いた。「猫が肩に!」「なにあれ、可愛い〜」SNSに撮られ、動画が拡散し、飼い主の運命も少しずつ変わっていった。 ...
吾輩は猫である ― まくろいくら丼、鮭しらす丼 編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だが、魚の香りを5km先から感知する能力がある。 ある日の昼。飼い主が大きな紙袋をぶら下げて帰ってきた。 「ふふふ…今日のお昼は豪華だよ〜」キッチンに並べられた二つの丼。ひとつはまくろいくら丼。もうひとつは鮭しらす丼。 蓋を開けた瞬間、この世すべての“魚力”が解放された。 湯気よりも 誘惑立ちのぼる 昼の膳 飼い主は嬉々として言う。「今日は“自分へのご褒美”ってやつ」ふむ、ならば吾輩にも日々の癒しの対価が必要ではなかろうか。 一歩、また一歩と近づく吾輩。テーブルの端に手をかけ ...
吾輩は猫である ― お中元編 ―
吾輩は猫である。名はまだない。だがこの時期になると、玄関のチャイムがよく鳴る。 「お届けものでーす!」飼い主がはんこを持って走る先には、丁寧に梱包された箱。大抵、果物かジュースか、そうめんである。 ――そう、それが「お中元」というやつだ。 飼い主が言うには、「お世話になった人に季節のご挨拶をする文化」らしい。吾輩としては、“礼”より“缶詰”を送ってくれた方がありがたいのだが。 箱を開ける音には敏感だ。とりわけ紙の音。ビニールのこすれる感触。吾輩の狩猟本能が反応してしまう。 「だめだよ〜これは人間用だからね ...