吾輩は猫である ―エアコン清掃 編(猫の体調を思う)―
吾輩は猫である。名前はまだない。 最近、少しだけ動きが鈍い。食欲はあるが、昼寝の時間が長くなった。人間は、それに気づいたらしい。 ある朝、天井の白い箱が開かれた。脚立、雑巾、そして「今日は掃除だな」という声。 どうやら、エアコンの清掃である。 風は、見えぬうちに溜まる。埃、湿気、そして季節の疲れ。それらは、人より先に、猫の体に表れる。 吾輩は、冷たい風が苦手だ。だが、澱んだ風はもっと苦手である。 人間は言う。「猫のためにもな」と。それは、なかなか正しい。 フィルターが洗われ、乾かされ、箱は元の姿に戻る。吹 ...
吾輩は猫である ―猫フィギュアスケート 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 氷の上は、よく滑る。それだけで、十分に警戒すべき場所だ。 人間は、刃のついた靴で氷に立ち、音楽に合わせて舞う。回り、跳び、点数をつけられる。 人間はこれを、フィギュアスケートと呼ぶ。 吾輩は思う。猫がやったら、どうなるだろうかと。 立つことはできる。滑ることも、理屈の上では可能だ。体は柔らかく、回転軸も安定している。スピンなど、得意分野かもしれぬ。 だが、問題は着地である。 猫は、失敗する跳躍をしない。成功率の低いジャンプは、最初から選ばぬ。四回転?理由がない。 氷上で最も ...
吾輩は猫である ―猫がスノボをやったら 編(七回転できるか?)―
吾輩は猫である。名はまだない。 雪山は、静かなようで忙しい。白は音を吸い、人の欲だけが、やけに目立つ。 人間は、板を履き、空を回り、回転数を数える。七回転できるかどうかが、重要らしい。 吾輩は思う。猫がスノボをやったら、七回転できるだろうかと。 結論から言えば、できる。ただし、やらない。 猫の体は軽く、重心は低く、回転には向いている。理屈の上では、七回転も不可能ではない。 だが、猫は数を目的にしない。着地が見えぬ回転は、跳ばぬ。拍手のための空中散歩に、命は賭けぬ。 猫が跳ぶのは、必要な分だけだ。高くではな ...
吾輩は猫である ―猫聖火リレー 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 街に、火がやってきた。特別な火で、特別に守られ、特別に走らされる。 人間はこれを、聖火リレーと呼ぶ。 道は整えられ、声は揃えられ、時間は秒単位で管理される。火は揺れるが、計画は揺れぬ。 吾輩は、少し離れた縁石の上から、それを見る。走る必要はない。火は、こちらまで届いている。 火とは、渡すものではない。見失わぬものだ。 人は、次へ次へと繋ぐ。落としてはならぬと、強く握る。だが、強く握るほど、熱さは増す。 猫なら、持たぬ。近づきすぎず、遠ざかりすぎず、ただ、消えぬ距離を保つ。 ...
吾輩は猫である ―猫って長靴履ける? 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 雨の日、飼い主が長靴を履いて出かける。ごつく、重く、足音がいつもと違う。その様子を見て、吾輩はふと思った。――猫って、長靴履けるのだろうか。 結論から言うと、履けない。物理的には、入るかもしれぬ。だが、猫の足は地面と会話している。濡れ具合、冷たさ、微かな振動。それらを遮る靴は、猫にとって世界を閉ざすものだ。 人は守るために履く。猫は感じるために裸足でいる。そこが違う。 長靴を履けば、水たまりは怖くない。だが、水たまりが何者か分からなくなる。猫はそれを好まない。 吾輩は雨音を ...
吾輩は猫である ―マッサージ猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 夜になると、飼い主の背中は少し丸くなる。肩は固く、呼吸は浅い。それは、一日を頑張った印だ。 吾輩は迷わず、その背中に乗る。軽く、しかし確実に。 前足で、ふみ、ふみ、ゆっくりと圧をかける。力は入れすぎない。逃げ道を残す。それが猫流のマッサージだ。 飼い主は小さく息を吐く。「そこ、ちょうどいい……」吾輩は聞いていないふりをする。褒められて調子に乗ると、効き目が落ちる。 猫のマッサージは、治すためではない。元に戻すためのものだ。呼吸を深くし、思考をほどき、身体を“今”に連れ戻す。 ...
吾輩は猫である ―一二三 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 盤の前に、時間の厚みがある。言葉は少なく、所作は正確だ。 人間は、その人を加藤一二三と呼ぶ。 早口で、穏やかで、しかし一手は重い。考えるというより、待っているようにも見える。 吾輩は知っている。勝負とは、急ぐことではない。置くべきところに、置くことだ。 時計が進み、昼が過ぎ、夜が来る。それでも、盤の中心は動かぬ。 積み重ねた日々は、派手に語られぬ。ただ、一局一局として、残っていく。 人は記録を読むが、本当の強さは、空白に宿る。考えすぎず、怯えず、同じ姿勢で座り続けること。 ...
吾輩は猫である ―猫は内、鬼は外 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 節分の日、家の中が少し騒がしい。豆の入った袋、赤い面、そして決まり文句。「鬼は外、福は内!」 吾輩は思う。では、猫はどこだ。 答えは簡単だ。猫は内である。最初から内にいて、出る予定もない。 鬼というのは、角や牙の話ではない。怒りすぎる心、追い詰めすぎる言葉、眠る時間を削る焦り。そういうものが、家の中に入り込むと、居心地が悪くなる。 だから豆を投げる。力任せではなく、区切りとして。「ここまでにしよう」と空気に言い聞かせるために。 吾輩は豆を追わない。転がる音を聞き、距離を測り ...
吾輩は猫である ―応用情報〈合格編〉―
吾輩は猫である。名前はまだない。 気がつけば、机の上には参考書が積まれ、画面の向こうには午後問題が並んでいた。人間はこれを「応用情報技術者試験」と呼ぶらしい。 合格した。まずは、それを述べておく。 努力が報われた事実は、素直に祝ってよいものだ。覚え、考え、迷い、書ききった。それは確かな足跡である。 祝いはする。静かに、だが確かに。 だが吾輩は、この場所に長く腰を下ろすつもりはない。 応用とは、基礎の延長であり、基礎とは、通過点である。知を積んだ者にとって、止まる理由にはならぬ。 風は、もう次の問いを運んで ...
吾輩は猫である ―長寿猫編―
吾輩は猫である。名はまだない。 最近、動きは少しゆっくりになった。跳ぶ前に考え、歩く前に周りを見る。それを人は「歳をとった」と言う。吾輩は「慣れただけだ」と思っている。 長く生きるということは、速さを競わぬことだ。勝ち負けを忘れ、無理を引き算し、今日を確実に終えること。 若いころは、音がすれば走り、影が動けば跳んだ。今は、本当に必要な音だけを選ぶ。それは衰えではなく、選択である。 飼い主は言う。「長生きの秘訣って何だろう。」吾輩は答えない。秘訣は語るものではなく、続けるものだからだ。 食べ過ぎず、焦らず、 ...









