吾輩は猫である ―賞与 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 その日は朝から、飼い主の歩き方が少し軽かった。鼻歌まじりでコーヒーを淹れ、スマホを何度も確認している。――これは何かある。 昼過ぎ、飼い主が小さくガッツポーズをした。「出た……!」どうやら“賞与”なるものが支給されたらしい。人間界のご褒美制度である。 吾輩はすぐに理解した。この日は、・帰りが少し早く・機嫌が良く・夕飯がやや豪華になる確率が高い。 案の定、夜にはいつもより良い缶詰が開いた。「今日は特別だよ」その言葉を、吾輩は何度聞いたことだろう。だが“特別”が何度あっても困ら ...
吾輩は猫である ―猫の抗体検査 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝から、飼い主の様子が少し違った。キャリーが出され、いつもより声がやさしい。――これは、病院に行く日である。 今日は「抗体検査」というものを受けるらしい。どうやら、体の中に見えない盾がきちんと備わっているかを調べるのだという。吾輩にはよく分からぬが、飼い主の顔は真剣だった。 診察台の上は、相変わらずひんやりしている。獣医殿は落ち着いた声で言った。「少しだけ採血しますね。すぐ終わりますよ。」吾輩は耳を伏せ、ぐっと耐えた。誇りは傷つかぬ。ほんの一瞬のことだ。 待合室で結果を待つ ...
吾輩は猫である ―クリスマスイブ 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 今夜は、家の中がいつもと少し違う。窓辺には小さな灯り、部屋には甘い匂いが漂い、外からは鈴の音が聞こえてくる。――どうやら、クリスマスイブらしい。 飼い主は慌ただしくも楽しそうだ。ケーキを切り、チキンを温め、ときどき吾輩の頭を撫でながら、「もうすぐだよ」と独り言を言っている。 吾輩はツリーの下に座り、揺れるオーナメントを眺めていた。光は派手だが、どこか控えめで、闇を押しのけるのではなく、そっと寄り添っているように見える。 夜が深まると、飼い主はソファに腰を下ろし、吾輩を呼んだ ...
吾輩は猫である ―猫も愛嬌 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 世の中には「愛嬌が大事だ」と言う人がいる。笑顔だとか、気配りだとか、場の空気を読む力だとか。なるほど、人間界はなかなか忙しい。 だが、吾輩は思う。愛嬌とは、作るものではなく、“にじみ出るもの”ではないかと。 吾輩は特別に笑顔を練習したことはない。ただ、眠いときは眠そうな顔をし、嬉しいときはしっぽが揺れ、構ってほしいときは、そっと近づくだけだ。 それでも人は言う。「この子、愛嬌あるよね」と。 先日、来客があった。吾輩は逃げもせず、かといって無理に近づきもせず、少し離れた場所で ...
吾輩は猫である ―人たらし 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 飼い主はよく言われる。「あなた、ほんと人たらしだよね」と。褒めているのか、呆れているのかは分からぬが、そのたびに吾輩は思う。――本当の人たらしは、ここにいる、と。 吾輩は特別なことは何もしていない。必要以上に鳴かず、欲しいときだけ近づき、撫でられたいときには、ほんの少しだけ背中を差し出す。 それだけで、人は勝手に心を許す。 宅配の人、来客、初対面の獣医殿。誰に対しても吾輩は同じ態度だ。警戒しすぎず、愛想を振りまきすぎず、ただ「ここにいる」。 すると人は言う。「この子、不思議 ...
吾輩は猫である ―猫じゃすり 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある日、飼い主が「ついに買っちゃった!」と言いながら取り出した細長い道具。見るからに不思議な形をしている。裏側はザラザラ、表はなめらか。どうやらこれがウワサの “猫じゃすり” らしい。 吾輩は少し距離を置いた。――知らぬ道具には慎重である。しかし飼い主がやさしく声をかけ、そっと吾輩の頬にあてた瞬間、身体がびくりと震えた。 ザラッ……ああ、この感触――母猫の舌に似ているではないか。 毛並みが整うだけでなく、胸の奥がふわりと溶けるような安心感が広がる。これはただの道具ではない。 ...
吾輩は猫である ―ねこねこ王国 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 ある朝、目を覚ますと、いつものリビングではなく、金色の光に包まれた巨大な城門の前に立っていた。 門にはこう刻まれている。「ようこそ、ねこねこ王国へ」 どうやら吾輩、異世界に召喚されたらしい。 王国の中央広場では、千匹の猫がゆったりとくつろぎ、毛づくろい大会やにゃんこ相撲が行われている。食堂には終わらぬカリカリバイキング、王室にはちゅ〜るの泉まであるという。 そんな楽園の中心に、ねこねこ王国を統べる“王猫(キングキャット)”が現れた。白く長いひげ、気品あるしっぽ――どこからど ...
吾輩は猫である ―猫耳 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 人間界では最近、“猫耳”なるものが人気らしい。ヘアバンドだったり、コスチュームだったり、あるいはアニメの中で自由に動いたりする。 だが、吾輩から言わせれば――猫耳とは、ただの飾りではない。心の窓であり、気分のアンテナである。 興味があるときはピンと立ち、安心しているときはゆるりと倒れ、嫌な音がするときは左右に振れて知らせる。猫耳とは、言語より雄弁な“意思表示の装置”なのだ。 先日、飼い主がキラキラの猫耳カチューシャをつけて、「見て! 可愛いでしょ?」と言ってきた。吾輩はじっ ...
吾輩は猫である ―猫の忘年会 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 十二月のある夜、飼い主がこたつで鍋を囲んでいる頃、吾輩はそっと窓から抜け出した。今日は特別な日――猫たちの、年に一度の 秘密忘年会 が開かれるのだ。 町内の猫たちが、神社の裏のあずまやに次々と集まってくる。茶トラ先輩は早くも酔ったような足取りで、「今年もいろいろあったニャ〜」としみじみしている。 黒猫のクロは、「今年の反省は“キッチン侵入の失敗回数”だニャ」と言い、キジトラのミケは、「わたしは健康診断を頑張ったニャ」と胸を張る。 それぞれの一年が、猫草をつまむ音や、カリカリ ...
吾輩は猫である ―猫にやさしい暖房 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 冬が深まり、部屋の空気がひんやりしてきた。吾輩は飼い主の足元にまとわりつき、「そろそろ暖房を……」と無言の圧をかける。 飼い主は苦笑しつつスイッチを入れた。まず稼働したのはエアコン。あたたかい風が天井からそっと降りてきて、吾輩の背中を柔らかく包んだ。「これなら乾燥もしすぎないように加湿するからね」と、飼い主。ふむ、気が利いておる。 次に使われたのは、床暖房だ。これがまた極上のぬくもりで、床に身体が吸い付くように沈んでいく。まるで地面そのものが抱きしめてくれるようだ。吾輩が伸 ...









