吾輩は猫である ― 猫ホテル篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、今は見知らぬ匂いのする部屋にいる。そう、ここは「猫ホテル」なる場所らしい。飼い主が旅行とやらに出かけるとかで、吾輩をここに預けたのだ。 「快適な個室」「24時間空調完備」「ストレスフリー」――人間が謳う文句はどれも麗しい。だが、吾輩に言わせれば、これはまごうことなき監禁である。 まず、知らぬ猫の声が聞こえる。薄い壁の向こうでは、三毛の女王が騒いでおるし、斜め下の黒猫は夜な夜な「出せ」と鳴く。スタッフとやらは笑顔だが、吾輩のしっぽの動きの意味を理解せぬ。カリカリは銘柄が違うし ...
吾輩は猫である ― 五月晴れ篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、晴れた日の名誉顧問のような顔をして、縁側に寝そべっている。 このところ、雨ばかりだった。庭の草はぐんぐん伸び、飼い主は洗濯物とため息を交互に干していた。だが今朝、雲がほどけ、空が開いた。風は乾いて、空は青い。人間どもはこれを「五月晴れ」と呼ぶそうな。なるほど、うまいこと言う。 陽の光が、吾輩の毛をふんわりと温めてくる。ときおり風が通り抜け、鼻先に新緑の匂い。ただそれだけで、今日が良い日であることが、わかる。 人間はこの日を「洗濯日和」だの「お出かけ日和」だのと名づけては忙し ...
吾輩は猫である ― 命日篇 ―
吾輩は猫である。名は、もうここにはない。 けれど今日、誰かがふとカリカリの缶を見つめていた。埃をかぶった首輪も、棚の奥から出てきた。それはたしかに、吾輩のものだった。 あの日、陽が落ちる前に、吾輩はひとつ大きくあくびをして、眠るようにこの世を離れた。静かで、穏やかで、まるでいつもの昼寝の続きのようだった。人間が泣く理由は、少しだけわからなかった。 今日、命日とやららしい。花がひと輪、水の入った皿、そして「ありがとう」と小さく呟かれた声。そのすべてが、心地よい。 猫はあの世でも、きっと気まぐれだ。昼は日なた ...
吾輩は猫である ― 和バラ篇 ―
吾輩は猫である。名はないが、庭に咲くものにはうるさい。 この季節、裏の縁側に座っていると、ふんわりと香る甘い匂い。人間が「和バラ」と呼んで愛でている花である。西洋のバラと違い、どこか控えめで、楚々として、花びらの重なりも柔らかい。まるで、おだやかに微笑む猫のまぶたのようだ。 「花が好きって言っても、トゲがあるのがいいのよ」と飼い主が誰に言うでもなくつぶやいた。なるほど、なるほど。人間は、刺があるのに手を伸ばす。それはきっと、少し不器用で、でも勇気ある証なのだろう。 吾輩にはトゲもなければ、香りも出せぬが、 ...
吾輩は猫である ― 万博篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、大阪の片隅でそこそこ長く生きている。最近どうも町がそわそわしている。人間どもが「万博!万博!」と騒ぎ出したのはいつの頃からだったか。 「未来社会の実験場」だの、「空飛ぶクルマ」だの、吾輩にはよくわからぬが、何か大きな宴が開かれるらしい。しかも、莫大な金と時間をかけて作っておる。ニュースでは、予算が膨らんで目玉のパビリオンが間に合わぬとか、建設現場が暑さで大変だとか――人間は相変わらず、賑やかに自分で穴を掘っては埋めている。 「子どもたちの未来のため」と誰もが言うが、隣の空き ...
吾輩は猫である ― 五月病篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、最近やけに人間がソファでうだうだしている。気怠げな溜め息と共に「やる気が出ない」「職場に行きたくない」とつぶやいておる。 どうやら「五月病」とやらにかかったらしい。春の浮かれた気分が過ぎ、連休という名の幻が明けると、人間たちは急に元気を失う。まるで朝のカリカリを期待していたのに空だった時の吾輩のようである。 しかし不思議なものだ。猫には四月病も五月病もない。ただ日が昇れば伸びをし、眠くなれば眠る。今日が月曜であろうと金曜であろうと、カレンダーの意味など知らぬ。そもそも"やる ...
吾輩は猫である ― 五月雨篇 ―
吾輩は猫である。名はまだないが、雨の日はいつも名前を呼ばれる。たいてい「また足ぬらして!タオルどこ!?」である。 このごろ空が忙しい。晴れるかと思えば、ぽつぽつと降り出し、気づけば裏路地が川のようになる。人間どもはこれを「五月雨」と呼ぶらしい。なんとも儚げで詩的な名前だが、吾輩に言わせれば「ただの濡れるやつ」である。 だが嫌いではない。雨粒が瓦を打つ音、葉の上で跳ねる様、窓辺にできる水の模様――どれも静けさの中に小さな変化があり、飽きぬ。ただし、足は確実に濡れる。 家の中では、人間が洗濯物を恨めしげに見つ ...
吾輩は猫である ― 母の日篇 ―
吾輩は猫である ― 母の日篇 ― 吾輩は猫である。名はないが、「コラまたのって!」とよく呼ばれる。 今日は人間界で「母の日」とやら。町の花屋は赤いカーネーションで溢れ、スーパーマーケットでは「感謝の気持ちをカタチに」などと書かれたチラシが舞っておる。どうやら人間は、特定の日にだけ感謝を思い出す生き物のようだ。 吾輩にも母はいた。目を開ける前から温かかった、灰色の長毛種である。物静かで、吾輩がじゃれて耳を噛んでも、怒りはせずに舐めてくれた。その背中のぬくもりは、今日も忘れぬ。 だが吾輩が知る限り、人間の母た ...
吾輩は猫である ― 大阪篇 ―
吾輩は猫である。名はまだない。ここ大阪は、匂いと笑いが渦巻く町。粉もんの香りと、人間の関西弁が入り混じって、吾輩のひげも自然と前向きになる。 ミナミの路地裏に暮らす吾輩は、昼間は道頓堀の橋の下、夜は串カツ屋の裏口でうたた寝する。時折、酔っぱらいが「兄ちゃん、あの猫めっちゃ賢そうやで」と吾輩を指さすが、実際はただの空腹である。 この町の人間は、よう喋る。よう笑う。けれど最近では、その声の奥に少し疲れが混じってきたように感じる。カジノだ、IRだと景気のいい話は聞こえるが、地下鉄のホームでは浮かぬ顔のサラリーマ ...
吾輩は猫である ― 教皇選挙篇 ―
吾輩は猫である。名はないが、名は神のみぞ知る。 ここはヴァチカン。大理石の回廊に陽が差すと、吾輩はサン・ピエトロ広場の片隅で優雅に昼寝をする。天を仰げば大聖堂、振り向けば修道士、人間どもは皆、神を語って忙しい。 最近、枢機卿たちがざわついている。「次の教皇は誰か」――選挙が近いのだという。煙突から白い煙が上がる日、人間たちは「精霊の導き」とか「聖なる投票」とか、立派な言葉で盛り上がる。 だが吾輩から見れば、あれは“宗教版の椅子取りゲーム”である。帽子と杖をかけた玉座を巡って、老人たちが真顔で牽制し合う姿は ...