吾輩は猫である ― 猫のお土産 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 飼い主が旅行から帰ってきた。玄関のドアが開くなり、スーツケースの中から「ほら、買ってきたよ!」と笑顔で差し出したのは――魚の形をしたキーホルダー。 ……吾輩はしばし沈黙した。 期待していたのは、せめてカツオ節か、サーモン味のパウチである。だが飼い主の満足げな顔を見たら、文句のひとつも言えぬ。「気持ちが大事」とは、こういうことなのだろう。 袋の中から、さらに出てきた。「猫用まくら」「旅先限定キャットミルク」「温泉の匂い付きタオル」。……要するに、人間が楽しそうに選んだ物たちで ...
吾輩は猫である ― 女性総理 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝のニュースで、アナウンサーが少し緊張した声で告げた。「本日、日本で初めての女性総理大臣が誕生しました」 飼い主はコーヒーを落としかけ、「ついにこの日が来たか」と呟いた。吾輩は窓辺からテレビをのぞき込み、スーツ姿の女性が深々と頭を下げる姿を見た。 世の中が変わる時というのは、派手な音もなく、静かに訪れるものらしい。その目は凛として、しかしどこかに慈しみの光を宿していた。 かつて、政治の世界は男の声であふれていた。議論は強く、理屈は鋭く、けれど、どこか冷たかった。この新しい時 ...
吾輩は猫である ― 議員削減 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 夕方のニュースで、飼い主がテレビに向かってつぶやいた。「議員の数を減らすらしいよ」吾輩は耳をぴくりと動かした。――議員とは、人間の群れのリーダーのことか? スタジオでは専門家が言う。「無駄をなくし、効率的な政治を」しかし、別の人は反論する。「数を減らせば、多様な声が届かなくなる」人間というのは、何かを減らしても増やしても、必ず揉める生き物らしい。 猫の社会では、単純である。多すぎれば喧嘩が増え、少なすぎれば見張りが足りぬ。だから、縄張りの大きさに合わせて自然に調整される。こ ...
吾輩は猫である ― 猫の誕生日 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝、カリカリの皿の隣に見慣れぬ包みが置かれていた。中には新しい首輪。赤いリボンがついている。飼い主がにっこり笑って言った。「今日はお誕生日だよ」 誕生日――人間のようにケーキもろうそくもないが、この家では、吾輩がここに来た日をそう呼んでくれる。 思えば、段ボールの中で鳴いていた小さな吾輩を、飼い主が拾ってくれたのは数年前の春。初めて撫でられた日の温かさを、今でも覚えている。 年月はあっという間に過ぎた。爪は丸くなり、毛並みは少し柔らかくなった。それでも、飼い主の足音を聞くだ ...
吾輩は猫である ― 動物愛護とは 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 近ごろ、人間たちは「動物愛護」という言葉をよく使う。ポスターが貼られ、募金箱が並び、「殺処分ゼロ」「共生社会」などの声が街にあふれている。 けれど吾輩は考える。愛護とは、守られることか?それとも、同じ目線で生きることか? 吾輩の仲間の中には、首輪をして、やさしく撫でられて眠る者もいれば、冷たい路地で雨を避けながら夜を過ごす者もいる。どちらが幸せかは、きっと誰にも決められぬ。 人間は「かわいそう」と言って拾い上げるが、本当の優しさとは、相手を思いどおりにすることではなく、生き ...
吾輩は猫である ― クマに遭遇した猫 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 秋の山は、金色に染まっていた。木の実を拾いに、少し奥まで入りすぎたのだ。風がひゅうと抜け、葉がカサリと揺れたその瞬間――大きな影が木立の向こうに立っていた。 クマである。 吾輩の背の何倍もある体、黒光りする毛並み、息づかいが地面を震わせる。時間が止まったようだった。 逃げるか、動かぬか。猫の本能が叫んでいた。しかしクマの目は、意外にも穏やかだった。その瞳には、飢えでも怒りでもなく、ただ静かな生の光が宿っていた。 しばし、二つの影が山の斜面で向かい合った。吾輩は小さく息を吐き ...
吾輩は猫である ― ホテル立山 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 この場所は雲の上。標高二千メートルを越える山の上に建つ「ホテル立山」。夜は星が降り、朝は雲が海になる。吾輩はそのロビーの隅に棲みついた一匹の山猫である。 観光客たちは口々に言う。「来年で閉館なんて、もったいないね」確かに、この景色は唯一無二だ。夏の青空も、秋の紅葉も、冬の静けさも――すべてがここで交わってきた。 このホテルは長いあいだ、登山者や旅人の“避難所”であり“憩い”であった。吹雪の夜に迷った者が灯りを見て涙し、頂を極めた者がコーヒーをすすりながら笑った。そして吾輩は ...
吾輩は猫である ― 恋する警護 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 このところ、飼い主に新しい仕事ができたらしい。「警護の仕事」と言っていた。誰かを守るために、夜も外を歩く。その姿は、いつもより少し頼もしく見えた。 帰りが遅くなる夜、吾輩は玄関の前で耳を澄ませる。鍵の音が聞こえるまで、ただ静かに、息をひそめて待つ。守るというのは、たぶん待つことでもあるのだろう。 飼い主のスマホから聞こえる声――それは、守る相手の女性のものだった。「いつもありがとう」その言葉に、飼い主の顔が少し赤くなった。吾輩は気づかぬふりをしたが、胸の奥が少しだけチクンと ...
吾輩は猫である ― 百日咳と猫の咳 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 このところ、飼い主の咳が止まらぬ。夜になると胸を押さえては苦しそうにしている。医者の話では「百日咳」らしい。百日――人間にとっては長いが、吾輩にとっては、春がひと巡りするほどの時間だ。 そんなある晩、吾輩も喉がこそばゆくなり、思わず「コッ」と鳴いた。飼い主が目を丸くして言う。「まさか、君まで?」 病院に行くわけにもいかぬ吾輩だが、飼い主は部屋の温度を整え、加湿器をつけ、毛布をそっと掛けてくれた。その手つきは、まるで自分が看病されているかのように優しかった。 翌朝、飼い主の咳 ...
吾輩は猫である ― そうじゃのう 編―
吾輩は猫である。名はまだない。 朝のニュースで、飼い主が小さくつぶやいた。「村山富市さん、101歳で亡くなられたんだって。」テレビの画面には、柔らかな笑みを浮かべる老人の姿が映っていた。 「そうじゃのう」ゆっくりと、しかし確かな重みをもって語るその声を、吾輩もどこかで聞いたことがある。災害に寄り添い、戦争を語り継ぎ、人の痛みに耳を傾けた人だった。 政治の言葉は難しい。だが、村山という人の言葉には、理屈よりも“人の温度”があった。時に批判されても、自らの信じる道を曲げなかったその背中は、どこか、陽だまりで眠 ...









