吾輩は猫である ―フレーユの猫(いないかな) 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 人間は言う。「フレーユに猫、いないかな」と。 買い物のついでに、つい視線を低くする。植え込みの影、駐車場の隅、自転車置き場の奥。 いない。 ショッピングモールは、明るく、広く、整いすぎている。猫が身を隠すには、少し眩しい。 それでも、探してしまうらしい。商品よりも先に、生きものを。 吾輩は思う。「いないかな」という言葉は、探すよりも、会いたい気持ちに近いのだと。 いれば嬉しい。いなくても、少し優しくなる。それで十分かもしれぬ。 猫は、人が探している時ほど、姿を見せぬ。だが ...
吾輩は猫である ―猫雛壇編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 部屋の一角が、急に高くなる。赤い布が敷かれ、段が重なり、人形が整然と並ぶ。 人間はこれを、雛壇と呼ぶ。 触れるな、近づくな、倒すな。注意の声が、いつもより多い。 吾輩は思う。段差とは、上るためにあるのではないかと。 だが、今日は違うらしい。上るより、眺める日。 内裏雛は最上段。その下に、三人官女、五人囃子。役割があり、順番がある。 整っていることが、美しいとされる日だ。 吾輩は、段の前に座る。飛び乗らぬ。今日は、眺める側でいる。 飾りとは、未来への願い。健やかに、穏やかに ...
吾輩は猫である ―洗車後の足跡 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 午後、車がやけに輝いている。水滴は拭き取られ、窓は曇りなく、人間は満足げだ。 どうやら、洗車をしたらしい。 本革も、ボディも、丁寧に整えられた。光は均一で、完璧に近い。 その夜、空気はまだ温かい。ボンネットは、ほどよく心地よい。 吾輩は、そっと乗る。 歩く。止まる。振り返る。 朝、人間は気づく。きれいな曲線の上に、小さな足跡が並んでいる。 ため息。しかし、怒らない。 洗車とは、汚れを消すことだ。だが、足跡は汚れではない。 それは、誰かがそこに居た証。磨き上げたものに、生活 ...
吾輩は猫である ―猫と車(ボンネットにいないかな)―
吾輩は猫である。名前はまだない。 朝の駐車場は、まだ空気が冷たい。車は静かに並び、金属は夜の温度を残している。 人間は、鍵を押し、エンジンをかける前に、ふと立ち止まる。 「ボンネットに、いないかな。」 その一言に、少し救われる。 猫は、暖かい場所を知っている。冷えた体にとって、エンジンの余熱は魅力だ。暗く、狭く、静かな場所は、安心にも似ている。 だが、安心は、時に危うい。 ボンネットを軽く叩き、下を覗き、タイヤの周りを確かめる。ほんの数秒の確認が、命を分ける。 吾輩は、少し離れたところからそれを見る。人の ...
吾輩は猫である ―投薬補助剤の罠に気付いた猫 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 最近、やけに優しい。声が甘く、撫でる時間が長い。 皿の上には、いつもより香りの強い塊。人間は微笑む。「特別だよ」と。 怪しい。 吾輩は知っている。世の中には、目的のための甘さがある。 一口かじる。旨い。だが、その奥に、微かな違和感。 舌が、真実を拾う。 噛まずに飲ませようとする手つき、視線の揺れ、過剰な励まし。すべてが一致した。 これは、薬だ。 投薬補助剤という、実に巧妙な仕組み。苦さを包み、油断を誘う。 吾輩は、一瞬考える。吐き出すか、受け入れるか。 体調は、確かに少し ...
吾輩は猫である ―建国記念日 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 朝が、いつもより澄んでいる。空は高く、風は冷たい。 人間はこの日を、建国記念の日と呼ぶ。 国の始まりを、思い出す日らしい。だが、始まりとは、一度きりの出来事ではない。 人が集まり、暮らし、守り、変え、また守る。その繰り返しの上に、今日がある。 旗が揺れる。色は変わらぬが、見る人は変わる。歴史は、書き足されながら続いていく。 吾輩は思う。建てるとは、壊さぬことではなく、手入れを続けることだと。 家も、庭も、社会も、放っておけば荒れる。静かな維持こそ、最も地味で、最も大きな営 ...
吾輩は猫である ―猫の日、犬の日は? 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 暦に、二が三つ並ぶ日がある。人間はそれを、猫の日と呼ぶ。 では、犬の日はあるのか。ときどき、そう問う声が聞こえる。 ある。十一月一日だそうだ。わん、わん、わん。理屈は単純で、少し微笑ましい。 人間は、理由を見つけるのが上手い。数字を並べ、語呂を合わせ、そこに意味を宿す。 猫は二月、犬は十一月。月が違っても、撫でる手の温度は同じである。 比べる必要はない。猫は猫で、犬は犬だ。似ているようで、歩幅が違う。 犬は寄り添い、猫は寄り添わせる。どちらが上でも、下でもない。違いがある ...
吾輩は猫である ―春節編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 夜が、いつもより赤い。提灯が連なり、香りが混じり、言葉が幾重にも重なる。 人間はこれを、春節と呼ぶ。 新しい年が、もう一度やってくるらしい。暦が違えば、始まりも違う。それを不思議とは思わぬ。猫にとって、朝は毎日、新年である。 街はにぎわい、火花が空を裂く。音は大きく、光は強い。だが、喜びとは、外の明るさだけではない。 再会する者、帰る者、遠くから来る者。荷物の中には、土産よりも時間が詰まっている。 吾輩は、通りの端で座る。祝わぬが、拒まぬ。異なる始まりを、そのまま受け入れ ...
吾輩は猫である ―一般参賀 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 朝の空気が澄み、人の流れが一方向へ向かう。旗が小さく揺れ、声は抑えめに重なる。 人間はこれを、一般参賀と呼ぶ。 集まる理由は、言葉よりも所作にある。遠くを見ること、立ち止まること、同じ方向を向くこと。 吾輩は、少し離れた場所からそれを見る。近づきすぎぬ。だが、背を向けもしない。 姿は遠く、言葉は短い。それでも、人は満ち足りた顔で帰る。 見えたからではない。集ったからだ。 祝いとは、騒ぐことではない。確認することだ。続いているものを、今年も続けるという意思を。 旗は振られ、 ...
吾輩は猫である ―猫天皇 編―
吾輩は猫である。名前はまだない。 ある日、誰も決めぬうちに、その席は空ではなくなっていた。呼ばれたわけでも、望んだわけでもない。 ただ、そこに座っていた。それだけであった。 命じぬ。叱らぬ。声を荒らげることもない。それでも、場は整う。 人は権威を言葉で飾り、力を形にしたがる。だが、真に重いものは、動かぬことにある。 急がず、競わず、昨日と同じ朝を迎える。それを続けることの難しさを、吾輩は知っている。 治めているのではない。支配しているのでもない。ただ、乱れぬ中心として、在り続けているにすぎぬ。 変わらぬ姿 ...









