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【赤間神宮訪問記】御朱印や御朱印帳、猫型お守りや耳なし芳一のお堂など見どころを紹介!

2023年5月15日

赤間神宮概要とアクセス

住所:日本、〒750-0003 山口県下関市阿弥陀寺町4−1

電話番号:0832314138

開門時間:9:00-17:00

時間が押していたためタクシーにて移動。下関駅から車で10分ほどの距離なので1000円ちょっとというところです。

車で参拝する場合、赤間神宮正面は国道9号線、その向かい側に無料駐車場があります。駐車場は海沿いに2〜3ヶ所にわかれています。

左)安徳天皇ご入水ー源平最後の戦。画面中央にあるのが安徳天皇の御座船。右)壇ノ浦合戦ー長門の国壇之浦の舟いくさが全面に描かれていいます。(赤間神宮宝物殿)
左)安徳天皇ご入水ー源平最後の戦。画面中央にあるのが安徳天皇の御座船。右)壇ノ浦合戦ー長門の国壇之浦の舟いくさが全面に描かれていいます。(赤間神宮宝物殿)

赤間神宮とは、源平の時代、1185年に壇ノ浦の戦いにおいて、入水した安徳天皇を祀る神社。安徳天皇は8歳にして没します。

寿永4年(1185年)3月24日、権勢を誇った平家一門は壇ノ浦に滅亡し、幼帝・安徳天皇は祖母の二位の尼に抱きかかえられ入水する。

日本伝承大観より

平清盛の妻、二位の尼は安徳天皇を抱えて入水するときに「海の下にも都はございます」と詠んだとされます。

赤間神宮に実際に行ってきた!

らみえる@猫の専門家が一番好きな文学は「平家物語」。

令和5年の5月上旬、ずっと行きたかったのになかなか機会が見つからなかった「赤間神宮」にようやく訪問してきました。

ネコ型のお守りを授与されているというわけで、無理無理記事を書くことに(^^)。個人的な思い入れです。

画像:歴史と海峡のまち「下関」

龍宮城を模して作られた建物は、遠くからでもひときわ目立ちます。

赤間神宮の神門は“水天門”と呼ばれ、竜宮城を模して作られている。

これは二位の尼が安徳天皇と共に入水する際に「浪の下にも都の候ぞ(波の下にも都がございます)」言ったことに由来する。

日本伝承大観より

雨の強い一日で、傘を開くたびに反対側に裏返ってしまい、まったく役に立たない。赤間神宮は海から国道9号という道路1本を隔てたところにあり、すさまじい海風。地元のタクシー運転手さんによると「これでも序の口」だそう。

なんとかかんとか、赤間神宮にやってきました。

赤間神宮の鳥居写真

鳥居をくぐると境内図があります。

赤間神宮境内図
赤間神宮境内図(図:赤間神宮)

わたしはこの水天門から振り返る(帰り道から見る)海の景色が好きでした。

くもりで対岸にある九州の地が霞んでいたことがとても残念です。

赤間神宮から関門海峡を臨む
赤間神宮から見た関門海峡、晴れていたら絶景

晴れていたらどれだけ美しいでしょうね。再訪を誓ったのでした。

水天門には豊穣感謝図と書かれた図。

大安殿。

赤間神宮のペットのお守りにはネコ型があった!

猫の形をした「ペットのお守り」がありました。赤と青、各1,000円です。

ペットのお守り
ペットのお守りは赤と青の猫の形

猫のお守りがとてもかわいらしいです。

とってもかわいいです!うちの猫たちは首周りにアレルギーがあって、首輪やアクセサリーでハゲてしまうのでつけられなくて残念。
キティちゃんというネコの写真
キティちゃんも立派なネコ

こちらはキティちゃん。一応ネコ。

ビニールから出してみるともっとかわいいです。

赤間神宮は思ったよりもお守りの種類が豊富です。

おもしろいのは、ケロロ軍曹。

健康健脚のお守り。

赤間神宮の由来には意外な感じの笑イチゴのお守り。

勝守もありますね。

「ん」のお守り。

確かに鬼滅の刃風。

赤間神宮の御朱印と御朱印帳は竜宮城風が人気

赤間神社の御朱印帳はどれもステキなんですよね。でもわたしは赤のモノグラム風にひとめぼれで、これをいただきたくて参拝。

赤間神宮の御朱印帳の種類
この赤のモノグラムの御朱印帳がほしかった

こちらの赤白の御朱印帳をいただきました。ひとめぼれです。

赤間神宮の御朱印
赤間神宮の御朱印

御朱印帳を購入したところ、お書き入れをしていただけました。シンプルな御朱印です。これが本来の御朱印なのだなあ。

赤間神宮の表紙オモテウラ
赤間神宮の表紙を見開きにしたところ

赤間神宮の表表紙、裏表紙を見開きにしたところ。

感無量。

SNSで御朱印帳を調べると、やはりこの赤のモノグラムが人気ですね。赤間神宮らしいのかもしれません。

わたしもひとめぼれでした。

赤間神宮の御朱印帳はどれもステキです。

源氏系の神社の御朱印をいただくのは申し訳ない、と言っている方もけっこう見受けました。

わたしの知り合いも平家だったとかで、鶴岡八幡宮など源氏の神社には行かない、と聞いたことがあります。

平家一門の墓

平家一門の墓は、 壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門を祀るお墓、供養塔です。

平家一門の墓
平家一門の墓

「七盛塚」という別名があるのは、名前に「盛」がつくものが7名あるから。

平家一門の墓の写真
平家一門の墓の写真

【前列】

  • 左近衛少将 有盛
  • 左近衛中将 清経
  • 右近衛中将 資盛
  • 副将能登守 教経
  • 参議修理大夫 経盛
  • 大将中納言 知盛
  • 参議中納言 教盛

【後列】

  • 伊賀平内左衛門 家長
  • 上総五郎兵衛 忠光
  • 飛騨三郎左衛門 景経
  • 飛騨四郎兵衛 俊
  • 越中次郎兵衛 盛継
  • 丹後守侍従 忠房
  • 従二位尼 時子
平家一門の墓の一覧の写真
平家一門の墓の一覧の写真

苔むした墓に歴史を感じます。

平家の家紋アゲハチョウ
平家の家紋アゲハチョウ

平家の家紋、アゲハチョウ(揚羽蝶)。

高浜虚子句碑 - 『七盛の墓包み降る椎の露』
高浜虚子句碑 - 『七盛の墓包み降る椎の露』

高浜虚子句碑 - 『七盛の墓包み降る椎の露』とあります。鎮魂の碑もまた苔むしていました。

さらに境内には“七盛塚”と呼ばれる、壇ノ浦に散った平家一門14名の墓がある。

天明年間(1781-1789)に、海峡に嵐が続いて船の行き来ができなくなった時、真夜中になると海上をさまよう平家の武者や女官の亡霊が目撃されたため、祟りであると考えた地元の人々によって平家一門の墓が集められ、そして墓を京都の方角に向けて供養をしたところ嵐は収まったという。

日本伝承大観より

壇ノ浦で命を落とした平家の霊を鎮めるためにお墓を作ったということですね。

耳なし芳一

耳なし芳一のお話は聞いたことがある方が多いと思います。

盲目の「芳一」という琵琶法師の「平家物語」琵琶の弾き語りはあまりに悲哀に満ちて美しく、芳一は平家の怨霊に魅入られてしまいます。

芳一の和尚がこのままでは「芳一が怨霊の世界に連れて行かれてしまう」と気付き、体中に経文を書いて法位置を守ろうとします。

亡霊は経文が書かれていなかった芳一の耳だけを切り取って、去っていったのでした。

耳なし芳一のお堂写真
耳なし芳一のお堂

なぜに耳だけ切り取るの?と思った方いませんか。

昔、武士は相手を倒した証として首を持ち帰ったのですが、それができないときは鼻や耳を切り取ってもちかえったそうで、その名残かもしれません。

亡霊も手ぶらでは帰れない、ということなのか。

あるいは「ものごとは最後の仕上げまで手を抜かないこと」など、教訓を読み取ることもできますが、それより何より人間には目に見えない死後の世界が存在することが伝わってくるということかなと私は感じました。

湯西川平家の里の提灯が見える耳なし芳一の写真
湯西川平家の里の提灯が見える耳なし芳一の写真

湯西川の平家の里には、以前訪問したことがあります。提灯を寄贈してありました。

耳なし芳一の由来掲示板
耳なし芳一の由来掲示板

耳なし芳一の話のくわしくはこちらです。

赤間神宮がまだ阿弥陀寺であった頃、芳一という名の盲目の琵琶の名手があった。

ある夜、侍がやってきてある貴人の前で琵琶の曲を披露せよという。

請われるまま琵琶を弾き語り、また次の夜も呼ばれるまま赴いた。

それが毎夜続くため、寺の者が後を追うと、芳一は平家の墓の前で琵琶を弾き語っていたのである。

琵琶の腕を見込まれて亡霊に取り憑かれたと察した住職は、芳一の全身くまなく経文を書き、呼ばれても返事をするなと命じた。

夜が更けて亡霊がやってくるが、芳一は声を出さない。

経文が書かれているために亡霊には芳一の姿が見えなかったが、宙に浮いた両耳を来訪した証としてむしり取っていった。

……翌朝、耳をなくし気を失っている芳一を見て、住職は耳にだけ経文を書き忘れたことに気付いたのであった。

それからこの噂が広まり、芳一はさらに名声を上げたという 。

赤間神宮は、平家滅亡に端を発して創建され、その悲しい伝説を今もなお擁しているのである。

日本伝承大観より

毎年7月15日には「芳一まつり」で神事や琵琶の演奏が執り行われます。

平家の怨念が乗り移ったとされる平家蟹(ヘイケガニ)

平家蟹とは、壇ノ浦の戦いで海に沈み滅んだ平家の怨念が蟹に乗り移ったとされ、怒りの人面のような模様が甲羅に現れています。

ヘイケガニの写真
ヘイケガニのオスメス。顔のように見える甲羅

食用にできるようですが、地元の漁師さんなどはたたりを恐れて食用とすることはないそうです。

わたしもちょっと口にする勇気はないかな。

ヘイケガニの説明
ヘイケガニの説明

赤間神宮のおみくじのコーナー横にも展示されています。

ヘイケガニがこの場所に出現するのは何らかの意味はあるのかと思ってしまいます。

豪華絢爛に安徳天皇をお祭りする先帝祭(しものせき海峡まつり)

毎年GWの5月2日から4日は、安徳天皇をしのぶ「先帝祭」が執り行われます。

「上臈参拝」といわれる4日は「関の先帝(しものせきの先帝祭)、小倉の祇園、雨がふらなきゃ、金が降る」といわれる豪華なもの。

豪華で目を引くお祭りです。

「外八文字」と呼ばれる歩き、舞いかな。すばらしいですね。

次は壇ノ浦、関門海峡クルーズと併せてこの期間に訪問したいと思います。

安徳天皇御陵はお隣にある

安徳天皇のお墓は赤間神宮の隣にあります。

全国各地にあるとされる安徳天皇の御陵ですが、西日本ではこちらだけ。

先帝祭においても御陵正辰祭が行われます。

それにしても関門海峡の日の出はこうも美しいのですね。

近くのランチ

赤間神宮に来たら寄りたい近くのランチ、食事の三選です。

地元の方や、旅館の方など、プロフェッショナルの方から聞いた情報なので、まちがいなしです。

おかもと鮮魚店

早めの夕方に食事をしようとするとどこも営業しておらず、探し当てたお店が大ヒットでした。タクシー運転手さんも「おかもと」といえばわかる、と太鼓判。大人気のお店で、ふぐ料理も充実。

ふぐの刺身
ふぐのサシミの写真

おかもと鮮魚店のショーケース写真
おかもとのショーケースに並んだ写真

おかもと鮮魚店のショーケース。

住所:〒750-0025 山口県下関市竹崎町2丁目7−4 岡本ビル

電話:0832328551

ふぐ尽くしを堪能しました!

オカモトの外観
オカモトの外観、いい感じだ

見た目からまちがいのないお店です笑。

春帆楼茶寮 下関大丸店

下関駅前の大丸にあり、アクセス抜群です。東京などで食べたら高価なふぐ料理がお手頃な価格で楽しめます。こちらに行こうとしたら営業時間外でした(泣)

春帆楼茶寮 下関大丸店
春帆楼茶寮 下関大丸店

住所:〒750-0025 山口県下関市竹崎町4丁目4−10 下関大丸 7階

電話:0832358029

唐戸市場

赤間神宮から歩いてすぐの唐戸市場は、新鮮な魚を中心としてたくさんのお店が立ち並んでいます。市場なので平日は午後3時まで早く終わります。

唐戸市場の写真
唐戸市場が終わった直後で残念

右を見てもたくさんのお店。

唐戸市場
広い市場なので見応えありそうだ

左を見てもたくさんのお店。お土産を買うのにもよさそうです。開いてなくて残念〜。

唐戸市場で購入したフグを堪能して赤間神宮へ!

住所:〒750-0025 〒750-0005 山口県下関市唐戸町5−50

電話:0832310001

次は壇ノ浦と関門海峡クルーズと併せて訪問したいです。

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らみえる(管理者)

ねこねこ王国運営者。慶應義塾大学卒、一般企業で広報、編集校正の仕事を経て、現在は動物ライター&デザイナーとして活動。会員制猫専用ホテル&ペットシッターキャッツカールトンを運営(動物取扱業)。動物取扱責任者、愛玩動物飼養管理士。現在は猫4匹と暮らす。幼少時から犬、リス、うさぎ、鳥、金魚などさまざまな動物と過ごし、生き物を愛してやまない毎日です。 https://nekoneko-kingdom.com/ https://www.instagram.com/nekoneko.kingdom/

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