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吾輩は猫である(現代編)

2025/8/2

吾輩は猫である ―猫パパ編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。だが、“父”である。 ある日、路地裏で小さな鳴き声がした。ふと見ると、まだヨチヨチ歩きの仔猫が三匹。母猫はいなかった。置いていかれたのか、亡くなったのか。吾輩は迷った末――そこに座った。 「父になろう」と決めたのは、べつに偉いことではない。ただ、ほっておけなかったのだ。 最初の夜は、仔猫たちが吾輩の尻尾で遊んで眠った。次の日は、エサ場を案内した。三日目には、カラスから身を挺して守った。 誰かが言った。「オス猫にしては、面倒見がいいな」 吾輩は応えない。だが、仔猫が無事に生きて ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/8/3

吾輩は猫である ―この世界の片隅に 猫編 ―

吾輩は猫である。名はとうに忘れた。呼ばれるたび、別の名をもらったからだ。 広島の港町にいた。戦の影がじわりと迫っても、吾輩の一日は変わらなかった。縁側で丸くなり、おひつの米の匂いを嗅ぎ、子どもたちの足元をすり抜けていた。 朝、空襲警報が鳴っても、夕方には家の灯がともっていた。人間たちは怯えながらも、味噌汁をすすり、笑い合っていた。 そして、ある夏の日。空が光り、地面が揺れた。 吾輩は、生き残った。でも、家も、人も、いつもの声も、どこにもなかった。焼け跡の炭の中、小さな草の影にうずくまりながら、吾輩は初めて ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/8/2

吾輩は猫である ― 終戦記念日 編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。だが、今日は名を呼ばれることもない日である。 8月15日、終戦記念日。蝉の声がけたたましく、だが町は、いつもより静かである。 飼い主の祖母は朝から仏壇に向かい、線香を焚き、ラジオをつける。「黙祷」――その声に、吾輩も動きを止める。 昔、祖母が言った。「この家には、戻らなかった誰かがいた」写真も、名前も、声ももう知らぬけれど、その“誰か”を毎年思い出す日が今日なのだと。 吾輩の祖先もまた、焼け野原を彷徨ったかもしれぬ。防空壕に潜り、疎開先で新しい子猫を産み、人とともに、生き延び ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/27

吾輩は猫である ―握り寿司 編―

吾輩は猫である。名はまだない。だが、寿司には一家言ある。 かつて、路地裏の寿司屋に迷い込んだことがある。「江戸前の粋ってやつを、知ってみたい」と思ったからだ。カウンターの檜の香り、職人の手元から舞う白い湯気、そして、目の前に置かれたのは――赤身の握り。 静かだった。客は誰もしゃべらない。シャリの湯気と、炙りの煙だけが語っていた。 飼い主は言う。「猫が寿司なんて…冗談でしょ?」 違うのだ。我々猫族は、本能的に“良い魚”を知っている。脂の乗り、酢飯の温度、あの一貫に込められた「沈黙の技術」に、胸が打たれるので ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/26

吾輩は猫である ―アイスクリーム食べ歩き 編―

吾輩は猫である。名はまだない。だが、“アイスの名店”はすべて知っている。 暑い日だった。道端のアスファルトが肉球を炙るような午後、吾輩は「アイスクリーム食べ歩き」に出かけた。 まずは商店街の老舗和菓子屋。店先で出していたのは、抹茶と黒蜜のあいがけソフト。香り高く、まろやか。舐めるというより、嗅ぐに近い至福である。 次に訪れたのは駅前の観光案内所の脇。ひっそりとキッチンカーが停まり、そこには「トマトジェラート」と書かれていた。トマト…?と眉をひそめたが、意外と酸味が効いていて夏向きだった。 路地裏のカフェで ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/25

吾輩は猫である ―ジャングリア どうなる? 編―

吾輩は猫である。名はまだない。だが今、沖縄の森の端っこにて、耳を澄ませている。その名も「ジャングリア」――新しいテーマパークの鼓動が聞こえるからだ。 最初は観光バスの列に驚いた。次に、上空をゆっくりと漂う気球の影に目を細めた。「動物と自然とテクノロジーの融合」だと人間は言う。なるほど、アバターもいればカピバラもいる。冷房完備の檻と、スマホを構える人々。 だが、森に住む我ら猫族としては、少しばかり気がかりな点もある。 “にぎわい”と“かき乱し”は、紙一重。 飼い主の祖母が言っていた。「昔は、このあたり一帯、 ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/25

吾輩は猫である ―北海道40度 編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。暑さにはめっぽう弱い。だが、よりによって“北海道”で熱中症になりかけるとは、誰が想像しただろうか。 「北海道が40度です」テレビから流れたその言葉に、飼い主は氷を落とした。エアコンのない実家に帰省していた人々は、急遽ホテルに避難する騒ぎだ。 北の大地 避暑地どころか 灼熱地 札幌の猫友からLINEが届いた。「こっちは溶ける、畳が灼けてる、もう“涼しい顔してラーメン”なんて無理ニャ」 本州から移住した猫たちが語る。「涼しさにひかれて越してきたのに、これでは詐欺だ」と。 農家の猫 ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/25

吾輩は猫である ― スーパーマンは移民 編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。だがこのところ、ヒーローものの映画ばかり見せられている。 特に飼い主が好きなのは、スーパーマン。「やっぱ正統派って感じで、いいよね〜」空を飛び、ビルを持ち上げ、正義を貫く男。 だが、ふと気づいた。――彼は、地球生まれではない。 故郷を失い、宇宙から飛来し、地球に預けられた小さな命。彼は“地球人のふり”をして暮らしている。 ふむ。それって、猫にとっての“人間社会”と、どこか似ているではないか。 居場所なく 居場所となりぬ 他所の地で 我々猫も、本来は野を歩く存在。だが今は、家具 ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/8/9

吾輩は猫である ― 長崎の夏 編―

吾輩は猫である。名はまだない。生まれは路面電車の走る街。夏になると、観光客が増える。ハウステンボス、グラバー園、眼鏡橋――けれど、8月9日だけは、町の時間が一瞬止まる。 正午前、平和公園の空に鐘が鳴る。遠くからでも、その音はまっすぐ響いてくる。人間たちは立ち止まり、吾輩もいつもより静かに、蝉の声と空の色を見つめる。 祈りとは 声なき夏の 風である この町の夏は、美しくて、やさしくて、そして痛い。飼い主は、時折ぼそりと語る。「祖母はね、爆心地のすぐ近くで…」それ以上は、語らない。 その言葉の先にあるものが、 ...

吾輩は猫である(現代編)

2025/7/24

吾輩は猫である ― ゴジラとニャジラ 編 ―

吾輩は猫である。名はまだない。だが最近は、「ニャジラ様」と呼ばれている(勝手に)。 きっかけは、テレビに映ったあの姿。背びれを揺らし、街を踏み鳴らすゴジラ。 飼い主がぼそりとつぶやいた。「…あれ、うちの猫が夜中に廊下を走る音に似てる」 失礼な話である。こちらは破壊など望んでいない。ただ夜という名の戦場で、床のきしみとエモーションを表現しているだけだ。 とはいえ、思った。――吾輩も、何か大きな存在になってみたくはある。 夢の中で、吾輩は「ニャジラ」として目覚めた。 巨大な肉球。鋭いひげレーダー。しっぽはビル ...